島根・山守network

より多くの人たちが山に目を向けること、また山での作業に“安全に”関われるように、素人目線からの情報の整理、補完が出来れば幸甚

2022年2月25日(金)夜7〜8時フジTV系列「坂上忍のどうぶつ王国」広島の山奥で民泊と山守林業を営む若い夫婦をフィーチャーしたTV番組のお知らせ


 田舎暮らしならば古民家に住みたいですよね。古民家には昔からの日本の智慧が引き継がれているのでないでしょうか。
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 此方は北広島町(かつては芸北町)の臥龍山の麓にある八幡原の古民家。西中国山地高原の自然館(手打ちそばのかりお茶屋と併設)の隣にあります。
 さらに、その並びには地元野菜や加工品の販売所がありまして、寒暖の差がある地域の美味しい農産物や果物が販売されています。

 運が良ければ、8月の末に美味しい枝豆が手に入ったりしますし、また季節の柏餅は土日のみの販売ですが、我々夫婦が今まで食べた中で一番美味しいものでした。

 八幡原は私共夫婦を含めて数名の仲間が住みたいと思っている素敵なところなのですが、豪雪地帯なので可也の気合が必要です。それでも、若い移住者も居られますし、この土地の方々のお人柄も素敵です。
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 ここは積雪が2m以上になる地域。でも、近年は少なめです。自宅からから1時間半は掛からないで行けるのでよく遊びに行っていますし、また広島への出張時には通り道であったりするところです。が、冬場はホワイトアウトの中を走る事も度々。

 地元の年配の方に聞くと、子供の頃は吹き込んだ雪で頭とか白くなったとか。人って、そんな環境でも暮らせるんだと驚きますよね。軟弱な街場生まれの人間には感動ものです。

 もっとも、少し下の匹見で暮らしていた時も、三八豪雪というわれる昭和38年の大豪雪で一ヶ月半下界から閉ざされて物資が入ってこなくても生き延びた人たちの話も凄いですけどね。
 みな電気もなく、大自然からの頂き物で自立した生活をされていたわけです。

 其の山の恵みを頂きながら暮らしていく術が詰まっているのが古民家でしょう。湿気の多い日本の気候では、木造、土壁、畳や板の間、土間などの呼吸をする素材の家が良いですね(茅葺の屋根も素晴らしいですけど、今の時代は難しいです:下画像は八幡原の古民家のメンテですが、他の地方から職人さんを呼んで茅葺の修理をしているそうです)。
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 そして囲炉裏で燻煙コーティングして長保ち処理をすれば完璧。虫除けにもなります。
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 今だったら薪ボイラーで床暖房もできますし、薪ストーブで暖かく過ごせるでしょう。自分的には掘り炬燵がダントツのオススメですね。換気が良い古民家ならば此れでしょう。
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 遠赤外線育成光線領域の電磁波は身体の有用微生物活動を活性化してくれる感じがします。逆に、別記事に書いてあります様に、鉄骨、鉄筋に囲まれた建築物は磁場が狂うので住まいとしての建物には向かないのではないでしょうか。

 また、電柱のトランスから様々な生活の電源設備などは有害な電磁波の発生源となっていますから(測定と体感と体調でのサンプリング済み:但しひ弱な男の検体)、わたしと同じ様なセンシティブな方には辛い生活環境かもしれません。

 そんな話を以前の記事に書いた様に、地磁気測定器を使って地球の垂直分力に切り口で測ると鉄に囲まれた空間は測定値がメチャクチャになっていますからね。
 木の国日本では、木造住宅が気候的にも理に適っていますし、そして生体的にみても健康的と言うことです。

 そして何と言っても素晴らしいのは解けば大地に還ってく素材で作られていることですね。現代のコッキンテンクリートで基礎構造が作られて廃棄物処理に困る様な建築物ではございませんものね。

 下の画像は、八幡原から少し降って191号線沿いの奥にある聖湖のダム近くの芸北民族博物館併設の古民家です。此処の博物館の昔からの民芸品も見応えがありますね。
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 日本は古代から木の文化の国。リサイクル、リペアして古い骨材を再利用したり、また燃料にもなる様な自然素材を循環サイクルに則って活用してきた文化ですね。

 ですから、古民家は、自分たちで修理をしたりできる余地があります。一昔前の自動車は人の手が入ることを拒まないことと同様でしょう。

 今の自動車は電子制御だったり、またボディが樹脂多用だったりで、昔の鉄板で作られたものと違って自分で修理が出来ないですし、廃棄処分にも余計なエネルギーと手間が掛かり過ぎですからね。

 果たしてエンドユーザたる庶民(働いて税金を沢山払って、そして製品を沢山購入して社会の下支えをコツコツと行なっている)は、美しい便利生活スタイルの中で何を得ているのでしょう。

 似非、欺瞞、収奪・・・色々なマインドコントロールに塗れていないですかっ。おおっ!いきなり能書き満載だ・・・

 でも、そういったことに気づいた人たち、若い人たちが人生を背負って生き方を模索しつつ転換にチャレンジしているのは素晴らしいなと、思っております。
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 ところが世の中の年寄り達、団塊の世代とか云われる連中は、競争社会の中を生き延びてきた人たちだから、リタイア後の生活に於いて社会の循環の中で稼いできたお金を自分とか自分に関係する人たちだけに使うだけで、日本の未来を繋ぐ人たちを応援するでもなく、その上、詐欺に騙されて折角貯めた大事なお金を雲散霧消させていたりするんですね。

 少し前の日本の経済を引っ張ってきた人たちが此の人たちならば、逆に粗い悪い方向に誘導させられて、自己中心的な生活スタイルを受け入れてしまったのも此の人たち。

 年取って昔からの日本の良さに気付いて、各地をキャンピングカーで回ったり、はたまた高級な宿に泊まって大名旅行をしているんだったら、日本の伝統的な暮らしを引き継いで行こうという若い人たちにお金を落として応援して上げて欲しいですね。

 そんな奇特な思いがある方にぴったりのお宿があります。体験型の民泊古民家。


【若い夫婦が引き継ぐ日本の智慧をシェアする古民家民泊がTV番組に】
 それは此方。広島県庄原市の山の中にある古民家。昭和の最初の頃の建物で100年くらいのものだそうです。
 古民家と言っても日本中各地で地域に合わせた造りなので有り様は様々です。
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ZOOMで現場サポートをやってみた---結構いけるじゃん! と言うのが感想。カメラの数と電波環境が整えられれば更に実戦的に・・・の巻


 この2年間は、コロちゃんのお陰で講習会が激減。で、リモートでどの程度のことが出来るか実験してみようと、何時も講師でお呼ばれしている広島のひろ森あんの増野さんから提案いただいてZOOM対応してみた。

 1月の終わりと2月の建国記念日のこと。建国記念日の時には、現場の方は仲間二人にお願いしてわたしは休みを貰って対応した次第。
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 現場の方は一ヶ月の作業予定で、まだ始めたばかりなので気持ち的に余裕があったので休めた。その後だよね、雪で一週間も作業が出来なくなって押せ押せになってしまったのは。

 さて、ZOOMは2020年の7月に自伐型林業推進協会が行う厚労省の林業就労者支援講習二十日間の講習のチェンソー・刈り払い機特別教育の島根山口担当講師を行う際の事前会議で2回ほど使ったことがある。
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 こんな風にZOOMって人の顔だけ観るものかと思っていたけれど、今回の実験で現場の様子が結構判ることを理解した次第。

 現場側の技術ベースが分かっている仲間同士ならば結構使えるかも、と言うのが今回の感想。なので、もう使っている人たちも多いかもね。

 で、未だトライしたことがない人たちの参考値になるかもしれないと今回記事にしてみる次第。
 現場での危険作業に於いてはどの位のレベルまで突っ込んで出来るかは未だ未知数だけど、講習内容に依っては十分に使えるのではないかと思えるんだけど如何だろう。
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四駆軽トラで、妻と一緒に行く裏山林道探索---倒木、倒竹、灌木を払いながら稜線へ。大橋慶三郎先生の、山に優しい壊れない作業路開設手法の普及成果?


 林道ツーリング、とか書くと少しワクワクするかもしれない。先日、集落の裏山稜線を通っている山道を探索しに嫁さんと何度も行ってきたので、記事にしてみることにした。
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 山道探索の目的は、斜めに生えている木を重心方向以外にコントロールしながら寝かせるための技術講習用の動画を撮ることなのだが・・・

 ところが、動画撮影に適した木を見付けるために軽トラを路の奥へ進めたいのだけれども、先ずは路面に生えた灌木を片付けなければいけないし、その上、倒木、倒竹、落石などばかりで、其の片付け作業に手間取って全然前に進めなかったのね。
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 路もちょっと使っていないと大変なことになってしまうことを実感。結局、4回通って全線走破。そして、最後に伐採動画を二本収録できた。
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 自分たち的には、うちの集落に通っている山道(林道でもない作業道でもない)が、結構面白かったのでご参考に記事にしようかなと。

 でもって、何が面白かったかというと、自伐型の林業で推進している大橋慶三郎先生の、山に優しい壊れ無い路作り手法の実用的な面が体験できたこと。
 そして、此れからの時代、里山維持には、この耐久性のある山の路作りの手法が大事な要素だと思われることなどだった。

 とともに、山が欲しい若い人たちが近年増えているみたいだけど、豪雨災害が多い時代に普通の土木的手法で山に道を開設していたら、道や山が崩れるかも知れないし、場所に依っては自分たちだけが被害を被るだけでなく、山の裾や下流域の集落にも迷惑を掛け兼ねない事態が発生する可能性があることもあるので、里山に暮らしている身として経験をシェアしておこうかなと・・・

 あと、今更ながらだけど四駆軽トラの話ね。実はもう4年くらい前に記事を書いてあったけど、最後まで仕上がらなかったので、放ってある四駆軽トラの話もあった。今回、ついでだからちょこっとだけ四駆軽トラの話も書いてみよう。

 さて、歳がバレるが半世紀近く前には、丹沢山塊などはバイクで好きに走り回れた。林道にゲートなんか何処にも無かったからだ。当時は未だ希少種だったから邪魔にされなかったんだよね(下画像はだいぶ後)。

 と言うことは、林道や山奥の道を走って半世紀近くになるわけだ。それも、車が傷だらけになったり凹んだりして引き返さなければならなくなるほど突っ込んでいく性分だからね。
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 そもそも、当時の林道は、道が荒れていて普通の車なんて奥まで踏み入った日には帰ってこられなくなるかもしれない位にハードなものだったこともあるだろう。

 自分も、そんなところへ行くに際しては、パンク修理道具からレバーの予備とか自力で帰ってこられる様に装備を整えた上でアプローチしていた。
 下手すると何十kmも歩かなければいけないかもしれないからね。

 林道は林業用に付けられた道なので、一般車両の事故が増加して管理責任を問われるなども有ったかも知れないけれど、不法投棄も増えたからということもありで、ゲートが出来たのも時代の流れなのだろう。
 そう言う意味では規制がない頃に走れたのはラッキーだった?

 また、真冬の富士山もジムニーで林道から五合目まで登ったりしていたこともある。富士山はバイクでも登ってしまったが、結果バチが当たってしまい懐が寂しい人生を送り続けているので、贖罪のために山や森を守ろうなどと言っているのが今。
 何がラッキーなのかアンラッキーなのか、万事塞翁が馬と言うことで・・・
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 この時のジムニーは、デフとかの下回りのガードがある以外は殆どノーマルで、タイヤは下駄山に必要に応じてチェーンを巻いただけでなんとか登れた(LSDは入れてあったが)。

 仲間のジムニーも軽く車高を上げたくらいでエンジンチューンも何もしていないので、昔の軽いジムニーだと、大地をあまり掘らないから平和だった。

 東京の日野に住んで居た時は多摩川の河原が遊び場で、バイクだけで無くMTBもジムニーも活躍していた。昭和の最後の年に手に入れた550のJA71C。
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 台風で増水した後は可なり楽しめた。が、よくスタックもしたね。だから、4輪分のタイヤチェーン、エアジャッキ、ハンドウィンチなどのレスキュー道具は何時も積んであった。

 そうそう、このジムニーで東北や中部紀州の長期釣り旅に行っていたんだ。山奥の行けるところまで入り込んでいたからレスキュー道具がなければ帰ってこられないところもあったね。基本は自力脱出。
 なので、他人様をレスキューしたことは多いけど、レスキューされたことは一回だけだった、と思う。
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 このジムニーは最後には、クロスカントリーヴィークル雑誌CCVの石川氏に差し上げるとか言って入間市へ置いてきたけど、チェックしたらフロントシャフトがブチ切れていて、末路は何方か業者さんの部品どりになったもの。大変なご無礼をした車。
 川の渡渉ばかりやっていてメンテしていなかったからね。

 そもそも、わたしは根っからのオフローダーだろう。小学生の頃にはランクルのFJ40の模型の足回りをバギー風に改造して庭で遊んでいたしね(当時のTV番組のJEEPがアフリカ戦線で活躍する「ラットパトロール」の影響:砂丘のダウンヒルをJEEPが飛び降りてくるイントロすごかったですよね)。
 そして中二の頃にはコッソリと7000円でバイクを手に入れて土の上で乗り回す様になった。

 当時、ど田舎だった新横浜の田んぼの中の河原にはモトクロス練習コースがあったので、片道4km位をバイクを押したりしながら住宅街を抜けて走りに行っていたからね。
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 また、当時中古のドロップハンドルの5速×2速チャリを見付けてきて、其れにブリッジ付きのバイクのハンドルとレバー類を取り付け、タイヤも少しパターンの粗いのを探してつけてオフロード仕様にして野山を駆け巡るのが自分の遊びだったんだよね。
 高速ドリフトやジャンプもやっていたから、つまり今のMTBの原型みたいのを自分で作って遊んでいたということで、よっぽど好きだったんでしょ。

 昔、四駆雑誌かオフロードバイク雑誌に載っていたが、オフザロードというのは、道無き道を切り拓きながら行くことで、荒れた単なる山道はラフロードと定義するとか。
 そういう意味では、高校生の頃から普通の人生から足を踏み外して当時半世紀前の高校生活を四年生までやっていた様なわたしは何方なのだろうか(今の子供達の気持ちも解る様な気がするけど、今の方がもっと大変ね)。

 山も登山ではなくて沢登りが趣味だったから山稜まで詰めるまではほんとにオフロードだね。で、道なき山を歩いていると獣道とクロスする。

 其の獣道は、ハイウェイの様に歩きやすいところもある。流石獣たちは、上手いところに通るラインを採るよね。なので、山に入る時には結構活用させて貰っている。が、上が低いのが玉に瑕。
 もっとも、西日本はマダニウィルスが居るので気をつけた方が良いけどね。


【荒れた里山、荒れた山道---森も道も同じく使っていないと荒れる】
 年寄りの懐古趣味はさておき、この歳になっても未だに山道を切り開いて進むのは結構楽しい。
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 そして貧乏な癖に何故かうちには四駆が3台もある。其れも過走行車ばかり。

 デリカのスターワゴンは14万km弱でうちに来て、もう直ぐ26万kmになるMT車。ジムニーは結婚前の嫁さんが、私に唆されて(そそのかされて)中古で買ったJA12W。

 岐阜で買って来た時には確か84000km位だった。後にジムニーのチューナーのAPIOさんでマフラーやリアバンパーなどを嫁さんが組み込んだ時に、当時の社長、今の会長の尾上氏がJA12に乗った事がないと仰られて試乗会。これは調子が良いと太鼓判を頂いた車両。
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 此方は関東と往復したこともあり、今では18万kmになった。このジムニーの型番はW、つまり乗用タイプなのでギア比が高い為に山の徘徊にはあまり向いていない。
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 そしてキャリイは30年近く前のもので匹見のお爺さんにお安く分割払いで譲っていただいたもの。もう15万kmになる4速MTだけど、軽く小さいこともあって、この三台の中で一番徘徊力が高い(農山村の地域探索の際にも静かで目立たずに溶け込みながら走り回れる)。

  JA12型のジムニーとキャリイ(下画像のものも)は、F6A型というスズキの軽用のエンジンでシリンダーブロックが鋳鉄のもの。それ以降のアルミブロックのエンジンよりも耐久性が高いので有名。

 勿論のこと全車、MTだし副変速機付きでマジの四駆・・・そう言えば、この30年以上、ずっとMTの副変速機付きしか乗っていないなあ。
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 同仕様の軽トラも3台目だし、デリカも2台目だし、他にも軽バンや軽1BOXなど全部。みんな山奥や河原、川渉りへ連れて行っている。上の画像は、津久井(今の相模原市)に住んでいた時のデリカと軽トラのセット。
(余談だが、この頃から全車にナノワークスA1という摺動面を合金化するエンジンオイル添加剤を使っている。もう14年以上になると思う。他の記事にも書いた様に、普通のコーティングタイプの添加剤よりも保ちが良いみたいだし、実際にエンジン音が軽く、そして回り方がスムーズになるので、トルクアップ燃費アップの実感を得ている。そして、チェンソーや刈り払い機のガソリンに数滴添加すると、音と回り方が変わってくる。仲間に勧めたら同様のコメントを貰っているので効果が高いと思う。Amazonでも買ってみて使用状況を詳しくコメント入れてみたので、ご興味がある方は覗いてね。)
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 此方は、2004年秋の画像。東京、高尾駅の向かいにある神社の山で荷揚げ路の補修作業中。マジの四駆でないと山の上まで登れない幅の狭い土路。

 此処を副変速機付き四駆軽トラ、ジムニー、デリカ四駆バンで登り降りしていたけど、スイッチバックもある路なので、ある日、デリカで幅員ギリギリのところをバックで下っていたら、左リアが路肩から落ちかけてしまった。
 そのままアクセルを煽って足掻いたら、ドンドン谷へ滑り落ちるのは必至(下画像は其の時のものではございません。別の時に大分手前の広いところで撮ったもので、神社に上がる作業路の中腹の辺り。其れにしても神社林って良い環境だよね。此処は東京、高尾駅の南側の山の中。宮司、まだ生きているかな?:生きていれば九十歳近いかも。昔、暴走族が正月に富士山参りに中央道をダラダラ走っていると陸橋の上から石投げたとか、そのまた昔は神社の石段を三菱じゃなくてほんまもんのウィリスのJeepで登ったとかの悪ガキがそのまま宮司になったジジイだから迷わず成仏していると思うけど。あっ、名誉の為に申し添えれば、そんなジジイだからこそ、若い人や子供達を手助けできる場を作って他人のためにも尽くしていたけどね。んで、私財を投じて山を守っていたし...)。
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 幸い、頑丈なルーフラックが屋根にあったので、其処に立木に設置したチルホールのワイヤーを繋いで、振り子方式で脱出した(場所に依ってだが、進行方向に牽引すると、益々リヤが谷側に滑って車が転落する可能性がある。進行方向にしか引けない場合に、車両が谷側へ落ちないためのシステムづくりは、以前の記事の真ん中辺りに記載してある)。

 下は東京の日野で働いていた時の社用車。富士重工の研究所に計測システム用の機器を納めたら、うちの車を買ってねと営業されたので、社長に頼んで買ってもらったサンバーの四駆。
 早速、会社の近くの多摩川で踏破力テストをしてみた図。
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 でも、特に日本の少しせせこましい自然の中にアクセスするのは、此の四駆の副変速機付き軽トラが一番気楽で良いよね。
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現場での頂き物。お土産どっさりのお仕事:お金を介在しない余禄経済シリーズ?---古道沿いの現場は焚き火でマッタリ...


 伐採現場が終わり、帰りに頂いてきたお土産がたくさん。皆さんに感謝感謝です。
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 お仕事は支障木の伐採。
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 こんな感じのお仕事。登っているのは何時ものクライマーH江氏。現場は建物脇、電線横です。お施主さんにお願いをして、対象木の周りを片付けておいて貰いました。
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 秋に下見に来た時にはボサボサでした。
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 屋根の上に上がってみるとこんなです。
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 依頼主は、里山バイオマス資源活用グループの方達の息子さん。純日本建築を手掛ける工務店(景気が良い時には二十名くらいの大工さんを抱えていたとか)会長のお父様が亡くなったのを機にご自分の不動産会社も閉めて、今は里山暮らし満喫中だそうです。

 だって、お父さんが生きておられた時にはバックホーが小さいのから大きいのまで7台もありましたからね。丸ノコ製材機から2tダンプや小型のカニクレーンもありますし、今は動くかどうか判らない二胴のウィンチ付きの林内作業車もありました。
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 お母さん達もみんなチェンソーを扱えます。田畑も山も持っています。数家族とも家に薪ボイラーを設置しているので薪作りもやっておられます。余剰の薪は道の駅へ出荷しているお家もあります。
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 皆さん、田畑と山のお守りに追われていますね。でも、楽しくやっておられる様子。
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 わたしは広葉樹の伐倒や集材の講習で何回もお邪魔して、もう3年くらいのお付き合いになります。
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 それ以外にも遊びに行ったりしているので、もうお馴染みというか仲良くしていただいている感じです。

 で、最初の画像のお土産を下さったのは此のお母さん達お二方。あとクライマーの仲間にもSOTOのガスボンベを頂いてしまいました。丁度、嫁さんがお魚やピッツァの仕上げの炙りに使っているSOTOのバーナーのボンベが無くなりかけていたので助かりました。
 皆さん有難うございます!


【焚き火を堪能、里山Life】
 さて、此処は講習会に行くたびに焚き火バンバンでした。薪ボイラーユーザーの会ですし、売るほど薪を作っていますし、それ以前に一山持っているので端材が幾らでもあります。
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お正月に華を添える美味しいお酒を頂いてしまい、美味しく鍋を頂きました〜!---お金を介在しない余禄経済シリーズ:木の駅プロジェクトつながり


 またまた頂き物をしてしまったシリーズ。本年元旦の記事に書きました様に、自分のセンサーに引っかからないもの、知らなかったものなどに美味しいものや素敵なものがありますし、ご縁がなければ一生知らないで終わる世界もありますよね。

 袖擦り合うも多生の縁。わたしたちの魂は、この物質次元の現代社会だけでなく多元的に様々な経験を積んでいるんだと思います。その際のご縁や想いがシンクロして出会いや出来事が起こるのではないでしょうか。
 そんな事を感じる現象がわたしの人生には多いからです。

 さて、ネガティブなシンクロニシティは事故といいますが、ポジティブなシンクロニシティを日本語で言えば良いご縁でしょう。

 わたしは人や物には不思議なご縁を感じることは沢山ありまして、そのお陰で皆様に色々助けられて甲斐性なしの根性を乗り越え楽しく生きております。お金ないのに山仕事の道具は色々揃っていますからね。買ったのもの方が少ないくらい。

 それは、人と物とタイミングなどに恵まれているということなんですけど、何故かお金には最低限のご縁しかないんですよね〜!!
 どうしたものでしょうか。

 でも、昔から美味しいものにはご縁があります。さて、今回頂いてしまった美味しいお酒のお話。
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 南信州の伊那から1月の12日に届いた逸品のお酒です。信州なかがわ木の駅プロジェクトのM澤さん、有難うございます!

 M澤さんへの年賀状へコメント書いていて、ふと思いついたのでうちの資料も郵送したんですね。
 そうしたら、なんとお高いお酒を頂いてしまった次第です。恐縮しています。でも、届いた日に直ぐに手を出してしまいました。だって嫁さんが物欲しそうにしていたんだもんね。

 後日、お礼の電話をM澤さんに入れた時に伺ったのは、この金賞や準グランプリをとっている今錦の酒蔵は一度潰れかかったところを、それを惜しんだ伊那で有名なかんてんパパの会社が援助してもらい今に至るとのこと。素晴らしいことですね。

 かんてんパパの製品は、樹上伐採のお店、伊那のODSKのKさんに頂いたり、薪ストーブのモキ製作所に深澤さんがおられた時に頂いたりしていたので美味しく食べていたものです。


【木の駅つながり】
 そのM澤さんとは、今から3年ちょっと前に広島の安芸高田で開催された木の駅サミットの時にお会いしただけなんです。
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 わたしは初日の夕方の伐採&搬出方法プレゼンと二日目午後の、木に登らずに樹上高くに牽引点を作ったり、同様にアンカーを設置する安全作業のロープワーク実習の講師を担当した時にご一緒しましたが、熱心にご質問を頂いた記憶があります。

 この広島のサミットは、わたしが講師でチェンソーワークと集材搬出講習をおこなった安芸高田市の市民グループの人たちが本気出して、その後に木の駅八千代を立ち上げ実績を上げてからサミットを開催したものです。

 なので運営側は全員知っている人だったのですが、行ってみると知り合いが沢山いるのにビックリ。皆さん熱心に活動を継続されて居るという事です。
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 全林協さんの「New自伐型林業のすすめ」に書きました様に、丹羽さんは2011年夏にうちの町の自伐型林業事業開始前のキックオフイベントへ来られてから何度も島根には来ておられますが、鳥取、智頭町の山本課長は2013年に智頭で開催された第三回百業づくり全国ネットワーク総会で名刺交換して以来の再会です。
 下画像の左側真ん中辺りに座っておられるでしょう。
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 当時、山本さんは県からの出向で智頭町役場に着任されておられましたが、来年は県に戻ると言っておられたのが、その後、鳥取県を退職されて智頭町に職員として戻られたとのこと、そしてその時の決意などを飲みながらお伺いしました。
 いやいや感動。わたしも饒舌になって生き方の話までなってしまいましたね。
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(上画像と下画像は2013年の智頭町でのもの。中嶋建造氏や丹羽氏も居られましたが、地元のプレゼンターを始め各地から集まった皆さんのレベルが凄く高い人たちばかりだったので非常に有意義な集まりでしたよ)

 凄いですよね。こういう熱い想いを持った方が自治体の行政職員に居られるのほんと宝だと思います。
 そういう意味では智頭町自体が日本の宝だと思いますし、智頭町の昔からの文化もそうですし今住んでいる方達もそうだと思います。
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 だから当時の寺谷町長の様な凄い方を輩出されたんでしょう。また、その一端として山に関わる人たちだったら、是非智頭に行かれて石谷家住宅でその木遣いを一度で良いから見せてもらうといいですよね。

 日本の職人の物凄さが改めて理解できると思います。他にも智頭は見所、勉強の為所一杯です。
 その時に泊めて頂いた民宿の戸を観てください。一枚板ですよ。
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 石谷家住宅へ行ったら、もっともっと凄いですからね。

 そうそう、あと智頭には森の幼稚園のまるたんぼうがありますからね。都会からの移住者が多いわけです。

 うちの町にも森の幼稚園のうしのしっぽがありますけど、わたしが森の幼稚園を知ったのは2012年の2月に鳥取市内で開催された森女(もにょ)カフェの時です。
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 智頭の百人委員会の方達が主催ではなかったかと思いますが、丹羽さんが司会して、まるたんぼうからは西村さんの相棒の熊谷さんが来ておられましたね。

 たしか西村さんは忙しすぎて体調が悪かったんじゃないかと思います(西村さんは翌年、うちの町に来られて、その勉強会でお話を伺いました。うちの嫁さんと同じ沿線の駅二つ位の出なので話が盛り上がっていました。そして西村さんを招聘した当時町議だった牧場のお母さんは森の幼稚園うしのしっぽを立ち上げて頑張っています)。

 あとは、別記事にも書いている伊那にあった素晴らしいKOA森林塾の卒業生の浜田久美子さんも登壇されていたし、あと林業女子でママになった方。10m樹上から落ちたけど全然大丈夫だった人。丹羽さんの横の女性ね。そんなパワフルなメンバーでしたから、充実した内容は流石先進地だと思いましたね。

 今、日本各地で取り組まれている市民による森林資源活用による森林整備や林業女子も含めた森と寄り添う生き方のベースラインが10年前に此処に有ったかと思います。

 木を育てて伐って売るという山を畑の様に扱う狭義の林業ではなくて、もっと一般生活を営む人たちがどれだけ山に関われるかということです。

 で、わたし的には、その智頭の山本課長とお話しできただけでも此の木の駅サミットへ足を運んだ甲斐があったものです。
 山本課長には智頭への移住歓迎しますよと言われましたが、わたしたち夫婦はユルい此処の地域に合っている様な気がするんだよね。美味しい魚介類が安いしね、と余談でした。

 その上、この広島のサミットでは、飛騨高山の木の駅の地域通貨券の立ち上げの話と取り組みに関しても素晴らしいお話が伺えました。その後、3年経っていますから益々素晴らしいものになっていることでしょう。
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 世の中素晴らしいブロックチェーン技術を使ったシステムづくりの話があり、それは是非進めて欲しいですけれど、大きな自然災害が発生するなどが起こった場合に、其れが長期に亘るときには地域で、またご縁がある人たちで助け合って生きていく必要がありますよね。

 その時に、この地域通貨システムは大事だと思うんです。また、こう言った地域通貨は物々交換や対価交換システムを含め地域の助け合いシステムを構築する上で、また人々のそういった心を醸成する上でとても大事な練習台になると思うのですが如何でしょう。
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 そういう意味も含めて各地でもっと木の駅プロジェクトが盛んになればなと思うのです。

 また、この広島に於ける木の駅サミットでは、久々に会う広島の芸北の方や奥出雲の人だけでなく三重の鬼頭さんも何年振りかに会って楽しいプレゼンを拝見しました。
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 他にも初めてお会いした甲賀木の駅の方達や京都の方、そして信州の方達の熱心さにも感銘を受けた次第です。
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 こう言ったお金中心ではなく、志を持った方々の集まりは楽しいですよ。今更ながらですがもっともっと一般市民さんが山に取り組まれると良いですね。

 こんな前のことを振り返った話を書くと年寄りの懐古趣味と思われるかも知れませんが、みな先輩先達たちの熱い想いがあって今があるということも含めて書いてみました。

 そして物事が間違った方向に行かない様にするには歴史とその裏の動力を知っておくことも大事かと思うからです。

 それは、今の時代のおかしな在り方は歴史上に於いても螺旋状に繰り返して来ていることですし、その結末は記録されているものだからですね。其処から学んで、同じ過ちを繰り返さない様にする必要があるのではないでしょうか。

 お金は大事ですけど、あまりにもお金軸に偏ってしまうと地に足が着かなくなり不安定なものに成りがちでしょう。

 木の駅プロジェクトは放置された森林資源を少しの汗と手間で整備しながら地域の循環システムを自分たちで立ち上げていこうという地域の自立を目的とするものですから、日本の未来に美しい農山村を残していくために必要な活動ではないでしょうか。

 木の駅サミットを開催した広島県安芸高田市の市民グループ木の駅八千代の人たちはコンスタントに活動されている様子。
 前の記事に書いた危険木処理のWSショップにもS木さんたち2名の方が参加されていて久々にお会いしました。
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 彼らのベースとなっている市民活動は、放置された棚田開墾もりもり団ですから。市民グループで農に取り組んだ上で林の活動もしているということです。


【旨いお酒と旨い料理---何も広葉樹豊かな森があって良い水が湧いてこそ】
 同じ様に熱い想いをもった信州なかがわ木の駅のM澤さんも農と林の両方の方だそうです。農家林家、良いですね。

 農家林家と言えば、島根県の林業研究グループ連絡協議会の長年の会長に其の鏡みたいな奥出雲の響氏が居ます(林業誌だけでなくNHKとかTVに出ているので実名で良いでしょ)。
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 自宅も牛舎も自分の山の木を自分で製材したもので、牛舎はなんと無節の材です。
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 でも、自宅の方は無節材では出来なかったそうです。
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 お米も無農薬栽培のものもありますが売れ先が決まっていて、大抵は極減農薬のものしか分けて貰えません。
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 お家に寄らせて貰うと、お昼でも無いのに煮物と天ぷらと漬物がお茶と共に出てきます。此れって奥出雲の農家の文化みたいです。そしてお母さんの煮物が超美味しい。島根県の森林インストラクター仲間とかでも有名です。

 また、椎茸栽培では農林水産大臣賞など幾つも受賞していたり、子供達の環境教育では引っ張りだこで何時も忙しくしています。
 農家林家とは、まさしく大地にどっかりと根を下ろした山守でしょう。

 M澤さんの様な若い方たちが同じ様に農と林を守る仕事に取り組んでおられるのはとても有り難いことです。
 其のM澤さんから頂いたお酒は、有り難く、これまた大晦日に自伐型林業推進家のT口氏に貰った沖縄のアグー豚のシャブシャブで頂きました〜。
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お年玉伐採&整備作業:お正月松の内は静かなバッテリーツールが良いねの巻---平和〜!


 今年の仕事始めは五日からだった。昨年末に道で行き合った近所の奧さんに高くなり過ぎたクヌギを伐採して貰えないかと相談を受けていた。
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 側に電線、光ケーブルが通っていて、周りには植栽があるので頭を落としてからの伐倒作業になる案件だった。
 自分一人で出来ないことはないかもしれないけれど、高所恐怖症なので樹上でビビって万が一失敗した時のことを考えると、専門家のクライマーにお願いしようということに。

 まあ、うちにはもう一人手はあるけれど、以前家の裏の背が高くなって電線に届きそうになった木を以前記事にした4mのポールソーで伐った時に、嫁さんに樹冠をロープを引いて貰ったところ、ラインの90度横に居た私に向かって何故か倒れてきて、そしてポールソーにのし掛かり危うくポールソーのソーバーが曲がるところだったことがあるからね。

 他のメーカのものは知らないけれど、ハスクのバッテリーポールソーは25APのチェーンが付くソーバーが一番弱い部分だね。4mをフルに伸ばしきって寝かした状態で枝が伐れて刃が抜けた後に掛かる重量は半端ない。腕だけじゃ支えられないことが。

 そのまま地面にトップが着地なんてことがあって、一回少し曲げたことがある。まあバーを押して元に戻る程度だったのだが。。。
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 なので、うちの嫁さんは相棒にならないと・・・トラウマ。
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 頼まれた現場は、他にも、雪害でもし折れたら電線に掛かりそうな白木蓮とケヤキもついでに背を低くしたいという話に展開したので、半日仕事でなく1日は掛かる内容になった。

 白木蓮は花芽が出てしまっているけれど、お金のこともあるので此の時期に一気に整備したいとのことなのでやっちまうことに。

 メイルで現場写真を送っておいたクライマーの仲間は忙しそうで暫くレスポンスが無かったので、まいどお世話になっている島根東部のH江氏にも声を掛けたら二つ返事で良いですよとのレスポンス。

 と、、、思ったら、レスポンスが無かった超忙しくてご活躍中の近くのクライマーO氏から電話が来た。メッチャ忙しくて仕事が立て込んでいるので、年末の29日だったらとのこと。

 でも、その日は私が年末の年越し蕎麦の蕎麦打ち作業に入ってしまっているのでダメと。そうしたら正月の四日から七日までならOKとのことなので、一旦声を掛けたH江氏にゴメンなさいをした。
 H江氏とは、1月と2月で何回も講習会の手伝いや伐採を頼んでいるからね。それにうちまで片道180kmはあるので、今回は近場のO久保氏にお願いすることに。

 で、お屠蘇気分も抜けた五日に来て貰ったO久保氏。樹木医を目指して毎年お勉強中。
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 O久保氏は、昨年11月に出雲の神社の枝下ろし作業の際に初めて一緒に作業をした。それまでは、ODSKさん島根講習の受講者として何年も来られていたので知己ではあったが一緒に仕事はしたことがなかった。
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 で、出雲の神社の案件は一昨年頼まれてご自宅の裏山の高木処理を行った島根樹木医会会長のS先生に頼まれたもの。
 この時も何時ものメンバー、H江氏とJ内氏と3人で行う予定だったが、O久保氏がH江氏の作業を見たいからと手伝いに来ることになり4人で作業をしたわけね。

 此の時は見積もりの甘さで作業量が多かったため、O久保氏が居なかったら三日間で終わらないところだったからマジに助かった。

 なので、タダでいいから手伝いたいという殊勝な心がけのO久保氏にもちゃんと謝礼をお渡しすることに。いや、ホントに助かった。
 それが一緒に作業をした初めてのこと。

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豆炭一つで20時間位温かな豆炭アンカ。それから豆炭コタツがあれば、真冬の災害時に電源喪失が発生しても大丈夫。エコで健康的な暮らしには此れだね!車中泊にも使える快適グッズ。


2023/2/25追記:豆炭の価格が上がったことを昨年末に書きましたが、先日12kg袋の中身が無くなり掛けたので再度最寄りのホームセンターナフコへ買いに行きました。記事の最後の方で紹介している商品です。
 が、使ってみると今回のものは保ちが良く無いんですね。前回のものは24時間を超える程に燃焼していましたけど、今回のものは20時間程度。そして、灰も前回のものと違う色のものが混ざっています。木灰みたいなものです。
 まあ、20時間保てば有り難いので、良いといえば良いのですが、同じメーカの豆炭でも燃焼時間の違いがあると言うことで付記しておきます。

2022/12/7追記:此の記事を書いてから、そろそろ1年になります。また、寒い冬がやって参りますが、物価の上昇も大幅で豆炭も随分高くなっています。
 うちは12kg入りのものを買っていることを記事の最後の方に書きましたが、1600〜1700円位で買えていたものが、先月買ったら2500円近かったです。やれませんね〜!

 さて、今回追記しておきたいこと。自分はトイレが近い年頃になっているわけですが、豆炭アンカを使っていて夜寝る時に足元が温まったら、徐々に上に上げてきて布団と足などを温め終わったら、腰の脇に置いて寝ています。

 寝返って横を向いた時には、背中から腎臓を温めたり、また内側では肝臓を温めますと、此れまた気持ちが良いんですね。
 そうして、足も腎臓もよく温まっていると、トイレの回数が減る感じがするのですが如何でしょう。それよりも感じるのが、(深)晩酌のアルコールの抜けがよい気がすることです。(笑)

 豆炭アンカは遠赤外線も出ているのでしょうか。なにか温熱療法にもなっている気がする今日この頃です。

 あと、うちは夫婦二人で豆炭アンカが四つあります。古い方が大分錆びてきて、新しいものを追加したのですが、結果四つを使いまわすことになっています。
 なぜかと言うと、豆炭一つで24時間以上持つことが多いので、夕方になって新しく火を入れる時にも、前夜のものが未だ温かいからです。よって、2つ組のものを2セット使いまわす日々です。

 また、運用としてですが、うちは豆炭コタツの火を入れるのを今の所やっていません。豆炭コタツは豆炭を3つ〜から燃やしますけど、十数時間しか保たないんですね。
 今の所、豆炭アンカをコタツに入れて、寝る時に布団に移しています。また、もっと寒くなったら豆炭アンカ四つを運用してコタツと布団の両方を温めてみようかなと・・・

2023/11/18追記:豆炭炬燵の代わりにコタツに豆炭アンカを熱源にしてみていますが良好です。ただし、炬燵の中に豆炭アンカを入れて使用する際には、炬燵の空間にアンカを転がしておくだけだと熱量が足りません。
 なので、豆炭アンカを転がした上に大きな膝掛けや毛布などを被せて、その中に足を入れる方法が暖かく過ごせます。
 当家では、四つの豆炭アンカを夕方に火を入れて、夕飯時にコタツでヌクヌクと過ごし、その後に二つの豆炭アンカを夫婦夫々のお布団に入れます。
 二つはコタツに残したままです。そうすると、朝起きてから布団に入れて使っていた豆炭アンカを戻すと直ぐにコタツが温くなります。そして夕方まで、その状態ですね。つまり家に居ることが多い年寄り向きという運用です。
 わたしは座ってのPC仕事もあるので、その場合には足元に豆炭アンカを置き、膝掛けをして温まっています。
 豆炭コタツはポカポカで気持ちが良いのですが、うちの場合には豆炭を三つ使い、そして運用時間が12時間まで行かずに消火してしまうので、此処暫くは豆炭コタツの代わりに豆炭アンカをコタツの櫓に入れて運用している次第です。
---------------------------------------------------追記以上

 豆炭アンカ、豆炭コタツについての記事をお正月の合間にザッと書き上げてみました。また脈絡がある様なない様な構成になってしまいましたが、強くお伝えしたいことは、厳冬期にもし大災害などが発生して電源喪失が長期に亘る場合に、都市部の人たちほど、この豆炭アンカセットを防災用品として持っておかれた方が良いだろうということです。

 そして近年リモートワークというお仕事スタイルが広まったとのことで、自宅で事務仕事をされる、その様な方々の足元を温めるのにも良いアイテムではないか思います。

 では、この記事を書いている人間がどんな指向を持って、何故、その様なことを書いているかも書き添えておきましょう。

 電気に頼り、そして空気が悪くなるエアコン、ファンヒータ(空気が乾燥し、塵やダニの死骸などプラスイオン化したものを撒き散らす)による暖房は好みではありません。
 薪ストーブ、掘り炬燵こそウェルカムです。が、山から里の普通の家に移ってしまったので、灯油ストーブを暖房&調理、調湿に使っています。
 薪ストーブが2台ありますけど、借家ですし瓦屋根と床の関係もあって設置しにくいので、暖房用には作業小屋で使うくらいです。

 そして、外仕事も多いですが、一日中Macの前に座っていることもあります。そうすると足元が寒いんです。季節によっては湯たんぽも使っていますが、真冬は豆炭アンカがあれば寝る時にも、そしてパソコン仕事の時にも暖かです。20時間は保ちますから絶賛使用中です。記事を書いている今もです。

 電気コタツは居間にありますけれど、豆炭コタツを並列に使っているので、電気コタツはあくまでもサポート用で豆炭メインです。

 よって、うちは電気が止まったとしても暖房に困ることはありません。下記リンクの記事に書きました様に、薪や炭、炭団に豆炭、各種ガスボンベ、そして灯油のデポは常にあるからです。
 そして、塩素が多い地域の水道水を嫌って、飲食用には山からお水を採ってきた16LタンクMAX10本を使いまわしている生活スタイルです。

 この様な生活をしているのですが、もう一つお伝えしておきたいことは、電気コタツ、ホットカーペット、電気毛布などは、有害電磁波の障害が強い(身体の間際、また密着して運用するので影響が大きい)ので長時間使うことはお勧めできないということですね。

 此れらは、コタツや布団、床などが冷え切ったイニシャル状態から暖かさを立ち上げる時のみの使用にして、其のあとは有害電磁波を出さずに、育成光線と言われる波長でもある遠赤外線という安定した電磁波で身体を温めるのが宜しいのではないかと感じる次第です。

 さて、以前、豆炭アンカの記事を書いたつもりでいたのですが、新年の挨拶の記事の中に簡単に書いただけでした。他に薪ボイラーや長火鉢、石窯とか組み立て式竃などなど諸々について紹介しただけの記事だったんですね。丁度4年前のことです。

 其の2017年の秋に豆炭アンカと豆炭コタツを我が家に導入してから毎冬活躍してきています。
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 昨年末に豆炭アンカを追加購入しようとしたところ、キャンプブームで売れていて在庫切れとのことでした。

 「へえ〜、そうなんだ!」、皆さん賢いよね。確かに豆炭アンカがあれば朝になってもシュラフの中がヌクヌクだし、季節によっては汗をかくくらい温かくなりますからね。

 湯たんぽは朝になると大分冷めてしまいますが、豆炭アンカは熱量が安定して逆にさらに温かいくらいです。うちで使っている感じだと20時間以上は温かです。

 キャンプとか車中泊ならば、此のコンパクトで温かい暖房器具は可なり役に立つことでしょう。

 などと、わたしが今更書くまでもなく活用されている方は多いかと思います。そもそも、わたしが豆炭アンカを認識したのは、此方の記事でした(コメント欄に指摘がありますが、豆炭は一個だけで使用。二個だと熱くなりすぎて危険)。2012年の記事ですね。
 だったら、キャンプする人たちにはとっくに広まっていますよね。

 こちらの方の道具類についての記事は信頼度が高いので、わたしは他にもフジカ・ハイペットの灯油ストーブ(うちのは整流リングと反射板付きモデル)も買ってしまったくらいですからね。何も導入後はずっと活躍しています。
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 なので、今更ですが、改めてご存知ない方向けに今回の記事で豆炭グッズをピックアップしてみます。
 何故ならば、キャンパーだけでなく一般家庭の日常生活でも役に立ちますし、そして一番言いたいことは、長期に電源喪失する様な冬季の災害時は必需品だと思うことです。
(以前、某薪ストーブ会社の課長に聞いたことですが、東日本大震災の際に避難所で凍死された方が6000人居られた事を大学の先生が調べたそうです)

 勿論、田舎暮らしにもピッタリです。当家は島根に移住した当初、標高450m位のところの窓を締め切っていても真冬にそよ風を感じる素敵な家だったので、掘り炬燵と薪ストーブで冬を過ごしていましたが、仕事の関係で里に降りてきてからは普通の家に暮らしているので逆に足元が寒かったんです。
 勿論、(豆炭アンカを使うほど寒くはない時期に)寝るときにはペットボトル湯たんぽとか普通の湯たんぽも活用しています。

 なので、豆炭アンカと豆炭コタツを導入しましたら一気に居心地が良くなりました。此の豆炭コタツの温かさは電気のものと質が違いますね。
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 豆炭コタツは上画像の様な既製品もありますが、燃焼部だけでも販売されています(当家で使っている十全商会さんのサイトの画像をお借りしました)。
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 後ほど、詳しく書いてみますが、当家では古いコタツのヤグラに此の燃焼部だけを取り付けて使っています。


【各家庭に最低1台、豆炭アンカのオススメ。そして豆炭コタツも良い】
 では、其々の使用感を書いてみます。其の前に、先ずお伝えしておきたいことは、此れらの暖房機器では有害電磁波の障害が無いことです。

 此の事は後ほど詳しく書きますけれど、わたしは25年くらい前にインターネットが一般市民に開放された直後から、輸入製品の有害電磁波対策用機器をネット販売しておりました。其の手の情報発信と販売に関しての一番最初の走りでしたね。

 同時に電磁波測定器を購入して色々な電気製品や住環境なども測定しましたし、体験的にもデータサンプリングをしております(其の様な事もあり以前には生体電気の記事も書いてあります)。其の中で電気炬燵の有害電磁波障害による身体の異常も治験済みです。

 これが豆炭と豆炭アンカの中ですね。
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2022年、謹賀新年。皆様方のご健康とご多幸をお祈り申し上げます---皆様方のご厚情を賜り良いお正月です:お金を介在しない余禄経済・・・物々交換は質が高い?の巻


 記事は未だ書けないものの、取り急ぎ年賀画像をアップしておきましょう。豆炭グッズの件は近々に記事にして立ち上げますね。

 さて、元旦も夕方になってやっと落ち着いたので記事を追加してみましょう。タイトルから窺い知れるかもしれませんが、年末に手打ち蕎麦を配った成果で美味しいお正月元旦を過ごせた報告です(別にその為にお蕎麦を配っているわけではなく、日頃から親切にして貰っているためです)。
2022年賀葉書
 本年もどうぞ宜しくお願いを致します!

 P.S.何時も年賀状を差し上げている方々へ。未だ此れからコメント書き故、今年も遅くなりますことご容赦願います。

 さて、元旦夕方にはコメント書き上げました。例年より断然早いです。明朝、投函しに行きましょう。
 だって、2時頃から呑んでいたので今日は無理です。飲んでいたのはこんなんですね。暇なので沢山撮ってみました。
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 前に記事にした黒柿の杯へ注がれているのは、広島の三次の美和桜の生酛です。
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 広島のお酒は自分たちが好きなタイプのものが多くて困ってしまうくらいです。西条、三原、福山、三次、他にもあるでしょうけれど、良い酒蔵が沢山あります。

 が、島根西部石見の酒文化は、其れ等のお酒と全然好みが違うらしく、酒屋スーパーなどで、売っている日本酒は我々には全く合わないために難儀しております。

 その為に広島へ講習に行った際に買いに行くか、または取り寄せでなんとか凌いでいる次第です。
 この美和桜の生酛ですが、自分的にはちょっと喉に引っかかって飲み難いこともあり、たまに熱燗にしてしまうという暴挙に出るのですが、なんとなんと!此れが美味しいんですよ。

 それから、嫁さんの実家から送られてきた相模原、津久井の地酒、相模灘です。近くに住んでいるときにはよく遊びに行きながら中も見せて貰っていましたが、あの谷間には良い水が湧くんですね。
 広島のお酒が好きな人だったら好みが合うと思う相模灘は各種旨いラインナップが揃っています。
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 それから、此方はお隣の山口のお酒。東洋美人の限定版ですね。こちらにはキヌヤさんというスーパーチェーンがありますが、其処が東洋美人に依頼して出したものの様です。
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 お蕎麦を配っている、以前住んでいた匹見の集落の方が下さいました。だいぶ前に東洋美人のお酒を飲んだときには、ただ甘ったるいだけで飲みにくかったのですが、一昨年に同じ方から頂いたものは私たち好みで美味しかったんです。

 そして、今回のものも、私たち好みの美味しいお酒でした。ご馳走様です!お蕎麦を持って行ってお酒を頂いてしまうなんて、、、何時も何も要らないからと言っているんですけどね。


【物々交換の余禄経済は質が高い?】
 さて、わたしたちは物々交換をしたくて手打ち蕎麦を配っているわけではありません。島根に移住してこの春で11年になろうとしています。

 当初は市の嘱託職員という立場で手取りなんと10万円ちょっとの生活を夫婦二人で3年間を過ごしました。一番近いお店まで25km。ガソリンスタンドまで35km。真冬の灯油代は月に2万円以上。あと、掘りごたつ用の炭団と豆炭、炭の購入費も必要です。そして大事なのが人間を温めるためのアルコール代は???

 お米なんて買う余裕はござんせん。でも、集落の人たちがくれたり仕事仲間が古米だけどと言いつつ90kgくれたり、お世話になっている人たちもくれたりして、自分たちのお米を買うことはありませんでした。
 そして、未だに自分たち用のお米を買うのはほんとに稀で過ごしています。

 勿論、頂くのはお米ばかりではござんせん。と言うことで、頂いたものを調理してお返しをしたり、年末には蕎麦打ちをして配ったり、あとは草刈りに行ったりとかで感謝の気持ちを贈っている次第です。

 んで、大晦日の蕎麦打ち真っ盛りの時にも来客。うちの町で林業版協力隊を募集した最初の年度に神奈川の葉山から移住してきたT口氏。

 その時には、わたしが作った町の募集ページの内容と共にリンク先の縄文之森協議会オフィシャルサイトの隊員募集ページに書いてある美しい能書きに共鳴して移住してきたのにも関わらず、翌年にはわたしがフケてしまったので、ずっと騙されたと言っていた様子ですが、結果大活躍をしていますからね。

 今は拠点を海の方に移して、農林漁業3本軸を持って日本の田舎の正しい活性化事業に取り組んでいます。
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 その少し遠くなった彼に、今年の年越し蕎麦どうするの?とメイルしておいたら奥さんと生まれたばかりのお子さんを連れて取りに来たのですが、手ぶらで良いと伝えておいたはずなのにデカイ魚の冷凍切り身と沖縄のアグー豚の冷凍スライスパックをドカン!と持ってきてくれてしまいました。
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2021年、今年もお世話になりました!---年越し蕎麦のない大晦日だけど、お刺身盛り合わせが山盛り


 1年の経つことが早いこと。もう皆様は年越し蕎麦を召し上がった時間なのではないでしょうか。あと3時間弱で年が変わります。今は夜の9時を回ったところです。
 わたしは未だお風呂にも入れておらず、夕食はその後になります。

 毎年大晦日までの三日間は蕎麦打ちと、お世話になった方々へ配る事に忙殺されていますが、今年の我が家では年越し蕎麦を食べられません。
 うっかりして自分で打った手打ち蕎麦は残っていないんです。まあ、業務用の乾麺(此れが結構美味しいんです。その辺のお蕎麦屋さんで出されても普通の人は乾麺とは判らないかも)はありますけど。このところ昼に毎日食べているのでよしとしましょう。

 と言うのも、本日、大晦日の年越し蕎麦を配るのに際して、按分が悪くて自分たちの分が残らなかったんです。毎日、蕎麦を打ってから配ったり宅急便に間に合う様にやって時間に追われてしまい、自分たちの分が今年に限って残らなかったんですね。

 わたしが打つお蕎麦は、黒っぽい田舎蕎麦と白い江戸蕎麦の両方ですが、差し上げるお家によって好みの太さにしていたりします。

 粉については以前の記事にも書きましたが、東京の業務用の粉屋さんの北東製粉さんから取っています。嫁さん家族がやっていたお蕎麦屋さんの取引先で、営業担当の方が未だにお付き合いをして下さって分けてくださるんです(通販やっています)。

 業務用の粉なので安定の味と質ですね。製粉した粉は保存の状態で質が変化してしまいますからやたらなところから買えないんです。

 でもって、今年は自分たちが打った大晦日の年越し蕎麦を食べられないので、好きなお蕎麦屋さんの画像をアップして自己満足してしまいましょう。

 さて、島根のお蕎麦屋さんも彼方此方食べさせていただきましたが(未だ知らないところは多いんですけど)、そして広島も未だ開拓しているとは言えませんが、広島の神石高原町の雪花亭さんは大好きなお蕎麦屋さんです。
 多分、東京のトップクラスの手打ち蕎麦屋さんと比べても負けないくらい美味しいのではないかと個人的には思っているお店です。
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 勿論、味は美味しいのですけど、それだけでなく蕎麦に力があるんです。東京の手打ち蕎麦で有名なお店に行った時のことで、確かに味は美味しんだけどお蕎麦に勢いが無いと言うか、決め手に欠けているというか、そんな印象を持ったことがあります。
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 でも、雪花亭さんのお蕎麦はいつ食べても感じるのは、食べた後の充足感ですね。我々が好きなのは、ご自分たちで栽培している玄ソバを使った田舎蕎麦ではなくて、江戸蕎麦の方ですね。スミマセン。
 何時も一人二枚頂いています(写真は上手に撮れていませんが、実際は艶やかです)。そして席の向こうにいる嫁さんは、車を運転しないので、何時も天寶一の純米を焼き味噌で頂いています。

 あと大好きなのは、長野県駒ヶ根市の駒ケ岳登山口にある駒草屋さんです。ここは水がめちゃ美味しいですよね。よってお蕎麦が格別です。ここでも、何時も二枚頂いています。
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 細打ちです。山葵が山盛り付いてきたりして。お汁は甘めですけど爽やかな甘さなのは水がいいからかな。
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 温かいお蕎麦は未だ食べたことがありません。
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 滅多に行けないですが、大抵営業時間中はは満車です。そして売り切れ次第おしまい。上の画像は売り切れてしまった後の空いている時のものです。

 と言う事で、自分で食べるときは白っぽいお蕎麦の方が多いですね。手繰って食べるお蕎麦です。こういった食べ物って美味しいだけでなく、また食べたいと思えるかどうかですね。

 彼処のお店のものが食べたいとか、また行こうと思わせてくれるかどうかが肝心です。普通に美味しいっていうお店は幾らでもありますけど、記憶の彼方になってしまうのが大方ですね。

 でも、この二店は何度でも行きたいです。頂いた後の満足感が違うんです。我々はね。まあ、好みで違うとは思いますが、白いお蕎麦が好きな方は一回足を運ぶ価値はあると思います。

 他には、仕事で広島側に出るときには山越えで行くので、いつも足を伸ばして豊平町のどんぐり庵さんでお蕎麦を食べてお昼にさせて貰っています。道の駅の中にあるので気軽に食べられます。

 おっとっと、お風呂に入らない内にもう直ぐ10時になってしまいそうです。出たら日本海の魚のお刺身で乾杯ですね。
 益田市にある伊藤鮮魚店さんのお刺身は最高です。
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 では、良いお年をお迎えください。今年も有難うございました。乾杯!!!

現場風景---本日の昼飯:吉野家牛丼の缶詰---夏だったらビールのつまみにもなる牛丼?


 吉野家牛丼の缶詰ってあるんですね。だいぶ前にスーパーのイオンで買ってデリカのクーラーボックスに放り込んでありました。皆さんもこういうのは食べて居られるんだろうか。
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 缶には、直火はいけません、と書いてあった様な気がしますけど、無視。

 前日の講習も、この日の講習も朝は白い景色の中で始まったこともあり、お昼こそは熱々のものを食べたかったので、ローソンで買ったカレーうどんとの組み合わせです。
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 フジカハイペットのキャンプストーブも積んでいっているので、カレーうどんは昼前に点火して解凍中。

 このアルミの器に入ったウドンって、前の日にセブンで探したら皆プラスティック容器の電子レンジ対応のものしか無かったのですが、セブンは何処でもそうなんですか。
 で、ローソンで探したら、此れがあったのでキャンプストーブで温めることができました。
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 このキャンプストーブはオープンエアで暖房にはならないものの、この位のことには役に立ちます。でも、ちょっと火力が弱いね。富士山山頂の測候所で使われて居たという伝説のストーブだけど、高度3700mのところで火力は足りたんかな。

 ご存知の方も多いと思いますが、普通の灯油ストーブを車で運ぶと灯油が漏れて酷い目に遭います。
 でも、このフジカハイペットのキャンプストーブは横にしても灯油が漏れないから持ち運びに便利なんですね。
 わたしは、こちらの方のこの記事で教えて頂きました。他にも豆炭アンカについても此の方の情報でした。

 何と言っても、この記事の頃にはピンツガウアーに乗っていたヘビーユーザですから色々参考になることばかり。失敗例も書いて下さっているので、自分に合わせて精査できます。質の高い情報のシェアに感謝です。
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 開けてみるまでどんなものか判らなかったのでワクワクしつつ開けてみました。
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 はいはい。ちゃんと後で上げますからね。睨まなくても大丈夫。本業カメラマンさんのk井さんは、撮るのは得意でも撮られるのは好きじゃないかも。え?返事は一回でいいって・・・
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