4ja71kiso 今は車中泊が流行とか。またお金がある人はキャンピングカーなんてものがあるけれど、我々は野宿派。ノジュカーね。いい年した夫婦が野宿だなんてねぇ〜。う〜ん、、、貧乏。でも自由。

 野宿の話を書こうと思い立ったのも、この4月に久々に関東に帰ったのだが、その際に高速代節約とか言って、下道で1000kmを帰ってみたからだ。

 結果、美味しいものを食べたり、あちこち寄ったりしたので高速で帰った方が全然経費が掛からなかったのだが・・・
 やっぱり楽しいわ野宿は。
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 25年くらい前に、企業研究所向けの計測システムの受託開発を行う会社を退職した後に、中部紀州を一ヶ月半、東北六県を一ヶ月半ほど、山の中ばかり野宿しながら沢遊びをしていたことがあった。
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 まだ、白神山地がそんなに有名でなかった頃で、青秋林道の反対運動が行われていた頃だった。山の在り方が川にどの様に影響するかを感じた旅だった。
 左は白神山地の尺ヤマメ。


【快適な場所を探すのには野宿】DT125で丹沢野宿 (1)
 自分は、それ以前の四十年以上も前から野宿ばかり。バイク4dt250で山を自由に走れた時代から、四駆で山旅が静かに出来た(舗装路が少なくて誰でも彼でも山の奥に来なかった)頃も。

 大体、快適装備満載の重量車では、山の奥まで探索出来ないじゃん。

 なので、スタックしても少ない道具で脱出出来る四駆が道具。4ja71ontake今でも車にはチルホールエアジャッキを積んでいる。今はいいものも出ているので、こちらも良い
 斜面を落ちかけている車両を、ただ闇雲に他の車両で牽引すると逆に斜面下に落としてしまったり、更には牽引車ごと危ない目に遭うことがある。そういった時にこの様な人力ウィンチも併用するのが技。

 このジムニーは昭和の最後の頃に購入したもの。いつもチャレンジするので、各地ではまりまくっていた(スパイク付きチェーンを四輪分積載)。が、基本は自己脱出。ん、人生も同じパターンかな。
※追記:その後、昔の画像を発掘。写真をスキャンしておいたもの。他のサイトで公開しているものもWっていたけど画像をお化粧してみた。
ジムニー雪の御嶽山キャンプサンバー野宿奥鬼怒ピアッツァ



 一番左の画像は36年ほど前の奥鬼怒の河原。チャラい車はいすゞのピアッツァ・ネロで当時の愛車。真ん中は30年ほど前の丹沢の中川の上流部。今みたいにキャンプ場がない頃の素敵な河原で。サンバートライのフルタイム四駆。当時の社用車で、奥鬼怒と両方とも知人の子供を連れて遊びにいっていた。右のジムニーは上と同じで御嶽山の六合目の雪中野宿。野菜がパリパリに凍っていた。


4soba【野宿しにくい時代へ】
 それにしても昔は良かった(自然環境は昔に遡るほど良いのでは?)。野っ原も多いし人工物も少なかったので、何処でも野宿出来た。
 それに世の中が悪く無かったので、地域の人達もあまり不審な目で見なかったし、挨拶をしておけば其れで済んだ。

 今は、どんな奴が彷徨いているか解らないので、此方が人が居ない方へ伊豆・海とTS250 (1)行かなくてはならない。野宿は動物より人間の方が怖い(野犬だけはやばいけどね)。

delica てな訳で、野宿し難い今の時代、場所探しは大変だ。ちょっと不自由になったね。

 さらに、うちらの様な弱っジムニー野宿夜ちょろい夫婦は、場のエネルギーが悪いと駄目。気持ちのよい所で寝泊まりしないと。

 その嫁さんの野宿歴は6、7年くらいになったかな。



【旅も人生も相似象】
 そもそも、島根まで来たのは、311の原発事故で、直後の3月15日には東京都下で線量が跳ね上がったことをネットでシェアしてくれている人の情報を観て判断したから。
 TVで観る原発情報の説明をしている役人や学者のおでこには、“嘘”と書いてあるのが見えていた。

  当時、嫁さんは嫁さんの両親と三人で無農薬の野菜を出す蕎麦屋をやっていたのだけど、放射能入りのものじゃ商売出来ないし、自分も食べるのは嫌だとして即休業(やがて閉店)。自分は林業を休業していた時なので自由。家は、前年の夏に借りていた大きな家を引き払い、様々なものを処分して最低限必要なものを其々の実家に分散してあった。両方の家を行き来していたところの地震だったのだ。

 親達は動かないというので、自分たちだけ取り敢えず西に移動する事に。あちこち回ってヨード液を手に入れて配り。それから友人達にはヨウ素の対策法をメイルや電話で伝えた。あとは、計画停電なので、灯油やガ ソリンが手に入りにくく、行列しつつなんとか手に入れて両方の実家の当面の灯油を確保して配った。

4mornin 目論見としては、以前からやりとりしていた島根の知人が、山の家を使っても良いと言ってくれた(周りが建て込んでいたし使い難い家だったので結局はご遠慮したが)ので島根の益田市を目指すが、何処から回ろうかなどと気楽な事を考えて居た。

  そして、16日の昼には相模原を出た。ところが、中央高速に乗って解ったのは、SAでは5Lの給油制限がされていたこと。先々の情報が無かったのでSA毎 に給油しておくはめに。諏訪近くまで行ったところ、北陸道は雪で通行止め。速攻、名古屋と兵庫の知人に電話をしたら給油制限は無いとの事なので南に下る事 にした。

 その夜の8時頃、吹雪く名神関ヶ原の辺りは、西に向かう関東ナンバーの雪に慣れていない高級乗用車の群で大渋滞。ネット以外の情報でどうやって判断した人達だったんだろうね。
 311の直後の空港は外国人の日本脱出で混み合っていたというし、TV報道はやっぱり一般国民向けのものだったのでしょう。

4nidai そして、招いてくれた兵庫の知人宅で五日間遊んだあとは、鳥取から島根の西部まで十日間掛けて野宿旅。途中、地域をあちこち良く観て回り、人と触れ合って印象良し。


【何時でも手放せる心の軽さ】
 そんな速攻旅立てたのも、其の年には東北を野宿しながら回りたい(20年前に自分は一ヶ月半やっていた)と、車を野宿仕様に仕立てていたから。田舎で暮らしたかったので、前から嫁さんと福島とか回っていたからね。それが、なんという皮肉でしょう。4ie

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 なんと、まさか島根へ。でも、来たら良いところ。借りた山奥の家は、野宿の延長線上みたいなもの。熊さん道路を歩いているし、裏の柿木はへし折るし。色々な動物さんたちとの遭遇は日々の事。

  なので、わざわざ大自然の中に遊びに行く必要もなく、また手取り10万円ちょっとで月16日勤務の仕事が超忙しかった事と地域のこともやることが色々あるし、また、ガソリンを入れるのに街まで35km走る必要と、冬には灯油代だけで月に2万円は掛かる生活のために遊ぶ資金が無かった事もあり、何処にも出掛けていな かった。

 大体、貧乏だけど毎日楽しすぎたし。其の前に住んでいた神奈川の津久井の山の上の別荘地の借家(家賃が10万円/月なので、島根の山奥暮らしの生活費と同じだ)を退去してからの流れ全てが、自分がやりたかった地方の農山村で暮らす為に導かれていたことが後になってよく解る。

 それでも、関東の両方の実家には道具や荷物が置きっぱなしだし、親も具合が悪いし、3年半も帰っていなかったので、 昨年度の事業継続が無くなって無職となったこの機会に行って来ようと決めた(おっ!人生も野宿旅か?)。でもって、高速代を節約して下道で行こうなんて事を考えたのが大間違い。はい。


【そして5年ぶりの野宿旅へ】
4trip504-1  何故か3月末以降、無職になってからも残務整理がずっと続き身動きが取れなかった。それでも、なんとか行って来ようと4月の後半になってスタート。出るの が遅くなり午後になって家を出る。その日は、なんとか奥出雲まで辿り着き県林研の会長宅へ行って、関東の実家にお土産に持って行くための有機はざ干しの玄米30kgを分けて貰う。其の夜は、奥出雲町のダムの脇の道の駅泊り。

 翌朝は、お世話になっているNPO法人もりふれ倶楽部さんに顔を出した。珍しく事務局長のN氏が居られたので撮影。此処の事務の女性は全部で3名だが、皆さんほんとに優秀な4trip504-2-2主婦の方ばかり。話が盛り上がる。
 N氏は、県下各地で子供達の環境教育の事業を展開していて、トトロみたいな身体と面白い話しで森林の大切さを啓発しているが、昔は森林組合の現場作業も長年やっていたのでチェンソーもバリバリ。

 長居してしまったが、高速を使って実家まで1000kmあるのを下道で行く旅は始まったばかり。見送られて、先ずは行った事が無い境港へ。
 高い海鮮丼を食べてみたが、その金額を出すのだったら益田の個人商店の魚屋さんにお金を落とした方が良いと結論。益田、萩は海流の関係で相当美味しくて安い。


【景色が御馳走】
 それは兎も角として、美保湾の景色は美しい。こんな所を散歩出来るのは羨ましいこと。
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  山陰道無料区間は乗って、あとは9号線を東に走る。島根に来て、西部の石見地方の山奥に暮らし、林業関係で東部と西部を行ったり来たりするのも、海岸沿い の9号線ではなく山道を選んで走っているが、同じ様な農山村部でも結構地域がらがあるのか景色が違う。でも、山陰は美しい所が多い。
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 先ずは丹後半島を目指す。走りながら観る山々には、まだ山桜が咲いている。初日は雨だったが、あとは天気良し。

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 久美浜に夕方到着。暗くなりかけて居たので焦って探したら、間違えた道の奥にドンピシャのところが。
 地図を見間違えた嫁さんに感謝。

 夜の酒のつまみは、豊岡の駅前通りの商店で買った白エビと茹蛸。安かったが超美味しかった! 豊岡、印象良し。

 さて、海岸上の駐車場に泊まり、早朝に起きたら、既に海藻採りや釣りの人達が入れ替わり来ていた。
 中には出勤前の一仕事といった風情の人も何人か見受けられた。そういう暮らしが良いよね。
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【噂以上の丹後半島の美しさ】
 陽が射して来た所で寝具干し。お茶を入れて朝食も採る。やっとのんびりとしたパターンに入れた。

 あとは、ノンビリと景色を眺めながら丹後半島の海岸沿いを進む。どこも景色良し。それは、ロケーションだけでなく、長い歴史の中で、海沿いの崖の上にある田畑と草地も奇麗に手入れされている集落とのマッチングが素晴らしい。

 走っているだけでも楽しい丹後半島だ。そしてお昼に温泉も入って食事も出来た。無農薬の野菜も買えた。
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 丹後半島をぐるりと観光しながら回り宮津まで来て遅い昼食。籠神社の前のウドン屋さんで美味しく頂く。お兄さん、讃岐へ修行に行ったらしい。それから丹後一宮の籠神社と、直ぐ裏の真名井神社に参拝。

 もう夕方になるので、今晩の野宿ポイントを決めなければいけない。旅に出る前から行きたいところが一つだけ有って、白山の石徹白に回ってみたかった。40年近く前から行きたいと思っていて、何度か近くまで行ったものの雪で行けなかったからだ。
 結局、若狭湾を回って越前海岸で野宿。 
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【白山、石徹白へ】
 早朝に起きて出発。福井から大野市に入って九頭竜へ。其処から石徹白川遡って石徹白へ行こうとしたが、まだ時期が若干早く通行止めだった。
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 仕方がないので、先ずは蕗の薹採り。それから陽が射してきたところで朝食と寝具干し。シートの上で干しているのは椎茸。奥出雲の県林研会長は農林水産大臣賞もとった椎茸作りの名人。お土産に沢山くれたので、時々干しながら関東まで持って行く事に。
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 仕方が無いので、一旦九頭竜まで戻り、白鳥町から回る事に。
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 途中、道の駅白鳥で買い物。それから長滝白山神社へお参り。こりゃ、神社巡りツアーだね。そんなに信仰心篤かったっけ?

 ま、山仕事をやっていたり、遊びで山に入っていても、何か感じる事があるので、神社には頭を下げる事が日常化しているかも。



 長滝白山神社の裏の森にいた白い猫。凄く奇麗だった。そして滝は石徹白に上がる道路脇にあったもの。
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 白山中居神社。素晴らしい。
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 白山中居神社の神社林は居心地が良いなあ。嫁さんはずっと居たかったと。
 太くて大きい杉に囲まれているのに暗さと湿気を感じさせず凛とした気が漂っているけれど排他的じゃない。それにしてもこんなに太い樹が林立しているのは昔から何も変わっていないと言う事だろう。
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 有り難さに涙溢れる。感謝です。

 此の後は、荘川村の手打ち蕎麦屋さんで美味しく昼食を済ませて高山を抜け松本へ。そして、ODSKさんへ挨拶に。其の夜は杖突峠近辺で野宿して、早朝に甲州街道を下り勝沼から高速に乗った。

  その後は知人宅を無茶苦茶回って挨拶と手みやげ渡しを行なう。あとは、片付け仕事の怒濤の日々。行くまでに時間が掛かったので、後半はほんと駆け足で過ごさなければならなかった。それでも、友人達のお陰もあり不要物もある程度処理が出来たし、必要な道具類も屋根まで積込んで、連休前までに持ち帰る事ができた。
 
 やはり此の位の季節が野宿には最適。少し寒い位が過ごし易い。うちのモットーは、「持たざるものの幸せ」。その為に、何かあっても生活用品積んで、それっと出掛けられる。

【持たざる者の幸せ】
4kamadodelica2  4年前に関東から西に来る時もそう。組み立て式の鋳物の竃から鉄の羽釜、ダッチオーブンなど火が熾せれば使える調理器具と、寝具、着替えなど。あとはチル ホールなどの牽引具とチェンソーも積んでいた(実は簡易蕎麦打ちセットも積んでいて羽釜で茹でて食べようと目論んでいた)。
 此れ等は野宿用具ではないけれど、万が一の際には小屋掛けが出来て生活出来るくらいの道具類を持って移動した(ちょっと大げさですか?)。

  結果、標高450mの山奥の家に住み始めたのは4月終わり。持ち物は車で積んで来たものだけ。借りた家には何も無い。築50年のすきま風が吹き抜ける家。 嫁さんは野宿旅の成果として、屋根や壁があるだけで有り難い。(落としの)トイレまで付いていて超幸せと・・・(若いときはヒールの高い靴を履いて都内で遊んでいたり、ディスコ...死語だね...に行っていた奴が大変身。そして今では地域に馴染んでお婆ちゃんお爺ちゃん達にかわいがってもらっている)。

  そんな最低限のもの以外何も持って行かなかった山村暮らしだったが、寒いので速攻布団とコタツを隣のお婆ちゃんに貰う。当時(いや、今も...)、食べ物 も集落の人達からも結構貰って居たし、カブの50ccも貰って足にしていたので日常の生活用品で困るものはあまり無かった。
 あと、お米は(最初 の年は自分でも無農薬米を作ったが..)集落の人に貰ったり、益田のお世話になっている知人がただ米を斡旋してくれたり、仕事に就いたあとの仲間が新米が 採れて古米になったものだが100kg近くくれたりして、3年間ほど米を買っていなかった。感謝感謝。

 その後、貧乏な癖に自伐型の林業に携われる位の道具類が何故か増えている。手放すと入って来る、という循環。
 経歴や実績もそうだけど、ドンガラも溜め込むと心まで淀むよね。311のタイミングは、丁度一回整理して、生き方もリセットした後だったので、世の中ひっくり返っても生きて行けるだけの最低限のものだけ持って関東を出ることが出来た。
 生活をシェイプ(削ぎ落し)するためには野宿は最適(その野宿でさえも、自分は沢登りをやり、源流域の山奥で寝る事をやってきたので快適な方だと思うが)だと思いませんか?

4tanba32 ところが、最近我々の野宿も余計なものが増えている様な気がすると、反省。然し乍ら歴史を顧みるに、縄文期から人間は移動しながら生きて来た。弥生的に農耕を行ない定着した後もだ。それは、地殻変動や火山噴火などの天変地異があって其の地域に棲めなくなる事や、他部族、他民族からの侵略から逃げる事も含めてだ。

 土地が自分たちのものと言う考え方は、世の中の経済も含めた安定期にのみ通じるもので、変動期に於いては如何なものか。そもそも所有という意識があると精神が混濁し思考が膠着化していく様に思える。
 其れよりも、皆が大地は地球からの預かりもの、自分の人生も先祖からの預かりもの、自分が次の世代に何を贈れるかという意識を持つことが出来たならば軽く楽に楽しく人生が送れると思うのだが。KTM-LC4
 さて、野宿旅の様な人生を送る我々、どうなることやら・・・


P.S.関東の友達や親達には今の内に、此方に移ればと言っているのですがなかなかね。ご縁は作るものですけどね。

 神奈川に居る時は相模原市森林ビジョン計画のパブリックコメントに長文の意見書を出したが全然反映されず、結局島根県で展開している次第。その為に島根に導かれた様なもの。

 我々がやりたいのは森林保全が核にあるけれど、如何に山で暮らせる人を育てる事がキーになると思えるので、山で暮らせる素養がある人達に来てもらい、過疎化した集落に若い力を還元しつつ、自分たちも生かされるという循環的コミュニティを展開していければと考える。

  その為には、“安全に”、“楽しく”、森林資源を活用出来る事が大事で、(感謝の想いとともに有り難く)自分たちで山の木を伐って、重たい材を搬出して活用出来るところまでできる技術と知恵と経験を“意識転換と人格形成を伴いつつ”身につけられる場を作りたいと考えている。

 あらためて思うのは、まともな山仕事が出来る人と言うのは、頭も良ければ生き方も賢くて、そして人徳もある人だこと。また、そうでないと、山に受入れて貰えないということ。そもそも、生きている樹々の命を人間の都合で使わせて頂くのだから、我や欲が強い人は、何れ排除される。これは山に暮らして人々を観ていて感じられること(色々な事故や不要な病気、そして精神的未熟を原因とするトラブルが多いしね)。

4tanba33 そして、山守として農山村に入って行くには、山の役に立ち、地域の役に立ち、地球母さんに喜ばれる人でないと無理ではないだろうか。自分の都合ばかり言い、自分の思考から離れられない人は、どうやっても無理だよね〜。そもそも難しい仕事を習っている中での、他人の一言や、現象から感じ取って学べないもの。

 大体、山で一丁前の良い仕事をしている男って(いや女性も)みな立ち振る舞いが格好いいもんね。そして美しい!考え方も素敵。一緒に仕事してみたいと思う。

 以上のことからも、自伐的に自分だけか夫婦でやる山仕事の場合はまだ良いけれど、他人とチームを組んで良い仕事をするには、先ずは人間形成から必要だね。
 でないと、 何処かで何かをやらかす。其処から学べる人はまだ見込みがあるけれど、学ぶ心癖の無い人は止めた方が良い。自分自身の命とともに仲間の命も預かっているのだから自助努力の出来ない無責任な人達にはご遠慮頂きたいでしょ。

 こういった事って、何処の林業事業体でも解っている事だけれど、人手が足りないから折り合いをつけているだけ。でも、今は農山村に住んで山の仕事をやりたい優秀な、そして志がよい人達が増えているから今が転換期だと思う。

  自分自身がいい加減な人間だから、山での作業では反省ばかりだが、そんな自分を鍛え磨くにも山の仕事は魅力的に思える。その上、山造りとなると複雑な計算 も出来なくては無理。
 また、樹上伐採などの特伐では、力学から様々な計算が出来た上で、複雑な工程がイメイジでき、且つ不安定な状況の中で異変を瞬時に感 じて即対応策を施せるなど、ある意味超能力的な領域まで入っている様に思える。知れば知るほど、皆さん凄すぎる。

 其の様な中、あとはご縁次第だが、どんな人達に教わるかだね。此の世界、やっていることは一見同じ様だけれど中身も意図するところも可成り違うと思う。プロでも危ないことを何も考えずにやっている人も居るし、基本を解っていないで我流でやっている人も多い。
 また、仕事のできる職人さんが、教えることも上手とは限らないし、土台素人はプロの真似をしていたら危なくて命が幾つ有っても足らない。

 今は小規模の林業・山仕事に使える良い道具類が増えたので、林業や山仕事の裾野を広げるにはいいタイミングに思える。ただ、“お金だけ”を軸にして展開して行くと、違う価値観をもった人達が参入し難くなるのではと懸念する次第。

 ということで、山に棲み、 山造りや山守をしたい新しい世代の人達が増えて育つ様に環境を整えて行く事が大事なのでは。良いご縁が結ばれていく事をお祈り申し上げて長文終了。