新年明けましておめでとうございます!
 旧年中は多くの方々にご縁を頂いたお陰で無事に年を越す事ができました。偏に皆さま方のお陰と感謝している次第です。

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 本年は更に社会変動の巾が大きくなる事が予測されています。今のテクノロジーを持ってすればエネルギー問題など直ぐに解決しそうですが、世の中では経済や覇権の問題があり裏の意図や思惑によって正論通りには参りません。

  将来的には、そんなレベルを超えて当たり前の事が実行できる様な世の中にしたいですが、先ずは今出来る事を行い、そして何でも出来る地力をつけてどんな状況にも対応出来る様にしておきたいものです。それは、もし紛争や自然災害で原油が入って来なくなったり、電力を始めとしたライフラインが長期に亘って供給が閉ざされた場合には、日頃見向きもしていなかった森林資源の大切さをあらためて実感するのではないかと想像するからです。

 その際には、自分たちで山の材を安全に運び出せることが出来たならば、自らの生活基盤の確保が出来るとともに、多くの人の役に立つのではないかと考えます。また、自然災害時にも倒木の処理などを多くの市民が携わる事が出来るならば復旧も早く出来る事でしょう。
 ところが災害の被害木処理はプロでさえ手に余る非常に危険な作業です。かつて九州を襲った台風で倒れた被害木を自衛隊の方々が処理しようとして多くの負傷者を出したと聞いています。自分自身、風倒木の処理を行うに際して、応力の掛かり方に想いを巡らせ、刃を入れたあとの材の動きなどを予測して前処理を行うことは何度やっても難しいものです。

 それでも、私どもが生活する中山間地域の山の中では、どんなことも自分たちで切り抜けて行かなければならない状況が起こることが考えられます。そういった際に、アーボリスト達(特殊伐採を行う樹木管理者?)が使う道具と技術、そして智慧が、一番フレキシブルに、そして実効的に対応が可能なノウハウではないでしょうか。
 また、山の中でも持って運べるPCウィンチは様々な可能性を持っています。自分自身、自伐型の林業を応援し実践していきたいと思う者ですが、其れ以前に、山村部でより自給的に生きていく力を付けたいと若いときから思っていました。
 其れ故に、山で釣り暮らし移動していく山旅とか沢登りを好み、イワナやキノコ、山菜を採り、タープやシートを張って夜を過ごすなどをかつてやっていました。そして鍛冶屋ですね。鍛冶屋は何もないところから道具や治具を創り出すマジシャンです。昔はどこの国でも大事にされた技術です。此れも身に付けたい。

 自分自身、文系でそして企業研究所などの最先端分野のコンピュ−タ関係の仕事が長かったりしましたが、今は何故か山です。ひ弱なくせにです。でも、今までの様な林業をやりたい訳ではありません。やはり山造りです、と言ってはおこがましいレベルでしかありませんから、少しでも出来る様になれればと願っている事と、また自分と同じ様な想いを持つ仲間が沢山居ますから、そういった自分たちが、また違う切り口からアプローチ出来ないかとジタバタやっているのが現在という訳です。

 大した事は出来ないですが、それでも不思議なご縁が展開して行って、素晴らしい方々(皆さんの事ですよ)に次から次へとご縁が出来るので、縁つなぎが出来ればと、この様なブログも起した次第です。ま、弱っちょろい奴に限って能書きが凄い、といった所でしょうか。それでも良い道具と智慧があれば自給レベルのことは出来ますし・・・

 さて、秋から大して更新が出来ていませんが、怒濤の様に講習や研修会がありレポートしたい記事が沢山あります。昨年2015年には熊本に2度お呼び頂いて、12月には天草の林研さんの講習のお手伝いもさせて頂いて来ました。天草、良い所です。早くレポートを書きたいのですが・・・まだまだ知らない地域のことで学ぶことが沢山あります。

 そして、、、其の様な動きの中で思うことは、、、多分ね、自伐型の動きとアーボリストの道具及びノウハウを融合させていくと、林業の裾野が広がると思うんですよね。此れは、自営業的自立、つまり自己責任の精神と仕事の仕方、そして道具を創り出していく本物の職人の智慧と精神とを融合させた可成り質の高い仕事ができる人たちが育っていく土壌ではないかと思えるのです。
 その上、基本的に樹や山を愛していることありきで、食う為に山の木を伐り倒しているという次元を超えて、山とそして地球と共存していく哲学と生き様を持った人たちの世界が其処にあるのではと感じます。

 何故かと言うと、日本は技術移転を海外に行ってしまったから、今までの様なモノづくりで国が成り立つ訳がなく、それでもエネルギーや医療、バイオなどの特許分野など最先端分野は未だ希望がありますから、それを支えていく(蘇生的な食べ物を供給出来る)自給率の高い農的国家(農林水産の第一次産業の基盤を整えて)にしていくことが、唯一未来の子供達に残せることではないだろうか、そういう風に身体が感じるからです。その為には、生きていく上での美学とか哲学を持って居ない人たちだけでは国の存在そのもの、ひいては地球の存続じたい危ういものとなってしまうでしょう。それだけ、人間のもつ出力が大きくなり過ぎたのです。

 他の記事にも書きましたが、山仕事は右脳も左脳も活性化させた上で、コントロールされた身体意識も、そして直感も必要な相当高度な仕事ではないかと思うのです。また、自分中心の自我の殻に凝り固まった人では対応出来ないレベルの、心の柔らかさや感受性そして他者や他の存在にも責任を持つ精神も必要です(逆説的にその鏡の様な世界が現在かも知れませんが)。

 この世界中で豪雨による大災害が起きている今の時代に於いて、地面から上が重たい放置林が集落の上部にあったなら、または街の上流域にあったならば、此処数年に日本各地で起きた激甚災害と同様のことが他の地域でも起きることでしょう。
※世界の災害状況のご参考Webページ
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-9353.html
http://www.y-asakawa.com/Message2015-2/15-message204.htm
他にも情報があると思いますので検索して下さい。
河野昭一先生
 ところで、里山(人の手が入って、その後放置して元に戻りつつある自然林も)は、人間が手入れして使って循環させてこそ植生バランスが採れています(植物同士は光と土壌の栄養の取り合いに於いて静かな戦いをしており、結果勝ち残ったのが優勢になります。原生林の、例えばブナ林は500年1000年掛けて、そういった鬩ぎ合いの結果、その土地の環境上に於いて優勢になり生き残ったものと、以前東北のブナ林の視察の際に京大名誉教授の河野昭一先生に教わりました。河野先生は足を使って研究された素晴らしい方という印象です)。

 そして、今流行の木質バイオマス資源を大量に投入する大型バイオマス発電の供給のために禿げ山にされ、再造林もされていない地域が増えている現在、豪雨がくれば街場での生活さえままならなくなることが目に見えていますから、小規模の効率が良いコ・ジェネレーションタイプの熱電併給のものが普及し、また効率の良い優秀な薪ボイラーが広まって、住民による山造りで行う択伐施業(抜き採り伐採)から産出する間伐材などの地域の森林資源を地域で循環させるシステム作りを進ませる必要があります(自分的には電気を作るのに木を使わなくても他に出来る方法は幾らでもあると思うのですが、資源を活用して山の整備を進めるのには必要かと思っています...が、どうなんでしょうね?)。

 それには、様々な道具とノウハウを駆使する自伐型林業に対して多業的に取り組む若者達が大勢育てば、そういった社会システムが構築可能でしょう。皆さまは如何お考えになるでしょう。
 取り敢えず、自分はこの様な想いをもとに、少しでも意識転換のお役に立てれば幸いということで、ご縁作りに励みましょう。

 本年の皆さま方のご多幸とご健康、そしてご安全をお祈り申し上げます。拝