この記事は、前の記事の560XPの事を書いていて、安全のことや日本人に合ったチェンソーワークのことを後の方に書き始めたらボリュウムが大きくなったもので新たにページを起す事にしたもの。
 それと言うのも、60ccのパワフルなチェンソーが復活して動く様になって改めてチェンソーの事故について考えたのですが、相変わらず長文過ぎるので若干加筆してこのページとして作り替えました(随時少しずつ加筆中のため、余計にゴチャゴチャに?)。

【事実を知って、現実を直視】

 そうそう、チェンソー事故について参考になる記事を私が尊敬する森林ジャーナリストの田中淳夫氏がアップされているのでリンクを付けておく。
『Yahoo!ニュース「事故率12倍! ……」を書いた裏事情』

 ただし、此の記事の中の二つあるリンクページは何方も覗いてみて頂きたいが、一つのグーグルでのチェンソーアクシデントの画像は、食事中とか夜寝る前には観ない方が良いかも。

  でも、基本この事実ありきなんだよね。日本人って、安全安全と口では言うけれど、結果感情論だけに終始して、実際に起こっている事実を正確に認識してから、その対策を積み重ねて行く事を「自分の責任において能動的に」 やらないで終わって居るパターンが多いのではなかろうか。
 怖い現実を受けとめようとしないから、何時まで経っても「安全に配慮している..つもり...」で、終わっているということか。

 つまり、言葉で言ったことを言葉で返しているだけということ。脳生理学の書店にある一般書にも載っていることだけど、言葉を解釈して発するのは左脳の機能。左脳は0(ゼロ)と1(ワン)のオンオフで考える論理脳。分析とか考えるということを行う脳。
 言語脳とも言われ、言葉で考えて居るときは左脳優位の状態。

 だから文法が間違っていなくて、話の筋が通っていれば、そこで問題点は収束してしまう。感情とか感覚、閃き、直感、イメイジとは違って、話の裏とか嘘を見抜けないし、全体像も観えないから本質から外れてしまったりする。戦後の日本の教育は覚えることばかりやってきたから、そんな人たちばかりになってしまった。
 ところが、林業はこれとは真反対の右脳の機能を全開にしないとできない仕事。イメイジ、直感、閃き、空間把握、時間軸上の因果関係を(考えずに観じて)瞬時に処理する(見抜く:結果が視える)能力がある右脳を働かせる。

 また、この右脳はイメイジ脳(言葉を介さない)である故に、講習など情報伝達の場では、相手の表情が優しくてウェイルカムな感じだったなら、自分が受け入れられたと思って納得した様な気になっただけで終わっているかも知れない。

 勝手な想像だが、安全講習などの問題解決の場においてありそうなのは、問題意識の低さから現実認識をせずに、言葉を使っての幼稚な論理だけでやりとりし、その上で感情に訴えて、互いに理解し合えた様な妄想イメイジの共有に堕しているということになるのかなぁ〜と。
 
 ところが、業界を問わず優れた人たちというものは、右脳と左脳がバランス良く高度に働いているので、閃きから来たイメイジを論理的に相手に説明までできるし、相手の(自分自身も気がついていない)真意も分析的に理解できる。

 そして、田中氏のYahooの方の記事に書かれているアメリカでのフォレスターへの研修では、事故の画像とか動画を最初に見せられるらしい。要するにリアルな現実を直視しないで文字上だけだと、心底肝に命じるところまで行かないんだよね。
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 わたしと仲間達は、沢登りや源流釣で滝の登攀下降、草付きの泥壁のトラバースなどをやっていたこともあり、その過程で山と渓谷社の「生と死の分岐点」山の遭難に学ぶ安全と危険 ピット・シューベルト著も読んでいる。この本にはクライミングで墜落死した人の写真も載っている。

 つまり、テキストだけでは左脳にしかインプットしかねないから、映像で右脳にも直接働きかけないとイメイジが展開出来ずに理屈だけで終わっちゃうんだよ。それは理屈だけでは実際の行動に移す動力にならない場合があるからね。

 肚の底から、やるんだ!という、安全に対して配慮する決心(コミットメント)を自分自身に対してプログラムするには右脳を通して行わないと効果が薄いと思う。

 意識的に成功体験を積み重ねて行く事が大事。
 つまり、こうやるんだ!と決心して、それを成功させるという、小さな事でも意志したことにより結果を生み出したというコントロール下の成功体験を積み重ねる事が、より良い現実(つまり事故の無い平和な日常)を創出する力になるのでは。
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 それには、身体に何れだけ染み込ます事が出来るかというのが安全への分岐点かな。私?後から考えると危なっかしい事ばかりやっていて、そんなわたくしめはとっくに死んでいてもおかしくないのだが、未だ生かされている。ので、その辺りのことをシェアしたいかな〜と。。。

 さて、チェンソーワークの基本、特に外人ほど体格が良くない日本人にとって、フォームとポジショニングがまずありきかと。外人の動画を観ていると、結構危なっかしそうな扱い方しているけれど、我々日本人と違って、まず身体がでかいし腕力あるからね。

 それと同じ様なワークを日本人の中でも更にひ弱な私の様な人間が、調子に乗って安全管理意識を何処かに忘れて作業をやっていたら、パワーがあるチェンソーの場合には、何かが乱れたときには即事故に繋がると思われる。
 皆さまも、ホントにご安全に!

 それから同記事にも書かれているが自伐型林業に参入する人の安全性への懸念がある。ほんと、儲けだけにフィーチャーして記事にしている人たちが多いが、現実を知らないか、または軽んじているかの何れかだろう。

 島根の場合には、県の林業普及スタッフで島根県林業研究グループ連絡協議会の事務局と、NPO法人ジット・ネットワークサービスの島根の事務局を務めておられるS越氏が、かつて仲間を林業事故で亡くされているので、安全に関しては各自治体に於けるチェンソ−ワーク研修に於いて徹底指導されている。

 それでも認識の程度に差がある事や、研修自体を受けていない人たちも少なからず居るので、まだまだ安全に対する普及が必要であることは確か。


【副業的林業の安全と技術レベルの向上を】
 自分的には、今の補助金ありきの林業に於いて、利益のみ追求する様な事業体で雇用される人たちが増えても、安全管理の意識が隅々まで浸透するのは体質的に難しい様に思えるのだが如何だろうか。

 それよりも、副業的、百業的な生き方を自営的に自己責任で行う人が山仕事に取り組める様に底上げをした方が素直に良い事を吸収し易いと思える。

 つまり、人生に対するアプローチそのものが違う人たちが多く育ち、そして心底大地と共に生きて行くことを決心し、地球と大自然に感謝しつつ生かされている事を実感できる生き方に転換する事が、(自我を超えたところに起因する)林業及び山仕事に於いての(不慮の)事故というコントロール外?の出来事に対処出来る方法ではないかと思っている。

 つまり自身も相手もリスペクトすることが先ずあって、感謝の気持ちを基本に(意識下に持って)日々過ごす事や仕事に対応出来るかどうかということ。それは食べるものに対してもそうだし、傍らの虫や植物に対しても同様。当然、自分が伐る相手の樹に対しても同じ心の姿勢が持てるかどうかということね。

 こういうのって、雇われ仕事のノルマをこなしていく作業の中ではなかなか持てないでしょ。山を愛していて林業に携わりたいと事業体に入っても、山造りなんて事にはほど遠い事ばかりで夢も希望も失っている人たちは沢山居られることでしょう。
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 其の点、自伐的、また副業的アプローチの場合には、良い山にして行く事が持続的な仕事を創り出していくことになるので、山に対する気持ち自体が違うと思う。
 右は全林協さん刊の“New 自伐型林業のすすめ”。画像を勝手に使わせて貰っているけれど、わたしも一番後ろにお金を掛けない搬出方法の記事を書かせて貰っているので良しとしましょう。

 ここに載っている事例に登場する人たちは、山を良くしたいという人たちばかり。
 経験が浅い人が多いけれど、その分、諦めの気持ちよりも何とかしようという気持ちが強い(業界がそういう初心者をバカにせずに、どうやったら良い方向に育てられるか受け入れ態勢を構築出来るかという環境づくりをして上げるのが先決だと思うんだけどね)。

 そういった心を育てられずに、人間の制御能力を遥かに超えているチェンソーをぶん回していたら、何時か魔が差した時には自分自身にその鬱屈した感情が反映する様な出来事が起こってしまうのは、差し出すものが還って来るというこの宇宙の法則のままの冷徹な現象でしかないと思うのだが如何だろうか。

 昔は、こういった事を諭してくれる長老の様な方が市井に沢山おられたのだけれど、今は老人達自身が、金とか自分(達と家族だけ)とかしか考えられない粗い心の人が増えてしまったみたいだ。

 だからこそ、山と共に自然を守れる自伐型の林業は、人類の意識レベル低下に対しての転換点になると考える。もっと自然とともに農的に平和に暮らそうよ、金なんて食べられるだけあればいいじゃん、それに農山村では食べ物や資源の物々交換や労役の互助で充分成り立つし・・・というのがちょっと昔の世界。

 今程にはお金に心が汚染されて居なかった一昔前の頃ね。それで、今よく言われる、今だけ・金だけ・自分だけ・と言う世界に愛想を尽かせた若い人たちが、もうちょっとまともな生き方をしたいと多くの人たちが転換を図っている。今の世の中、年寄りの方が欲かきが多いしね。

 何時の時代も若い人たちの方がセンシティブだ。否定的な論もあるが、百一匹目の猿の話(今年は申年だね)。群れに対しての個体数があるレベルの数で行動パターンに及ぼす意識変化があると、海を隔てた離れた場所に居る猿の群れの行動パターンにも変化を及ぼすという京大の研究成果がある。

 ライアル・ワトソン氏の著書で採り上げられて世界中で有名になった話だが、九州のニホンザルの此の話だけでなく、イギリスだったかアイルランドだったか忘れたが、鳥が牛乳瓶の蓋を開けて牛乳を飲む様になった話が、遠く離れた地域でも同時期に観察されていた話も載っていた。

4IMG_2910 ニホンザルの行動パターンの変化のその先鋒は若い雌の猿。変化に対応して新しい生き方を拡散するのは若い雌(お姉さんや若奥さんたち)だそうだ。

 そして年上の雌(お母さん達)や若い雄(お兄さん達)はその変化に追従するが、群れの中の年老いた雄(オジさんたち)はその流れを無視して変化に抵抗するという現象。
 此れは人間も同じパターンの様に見える。

 やはり、日本の山を守るためには女性達のパワーが必要かも。

 あのね、自伐林業の見本として引き合いに出される徳島の橋本林業の奥様ね。

 ご自身で女性の林研グループを作って活動していらっしゃるんだけど、旦那さんの橋本さんも偉いけど奥さんも結構凄いよ。
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 橋本林業さんは奥さんの意見が可成り反映されて今の様なあの素晴らしい山造りが出来ているはず。




 先年、委託事業を展開している際にご夫婦を津和野に招聘して講演会を行った時も奥様のお話が面白かった。

4IMG_4595 林業は今の様な取り組み方、つまり利益中心で、感性が鈍い男ばかりが前面に出ていると日本の大事な山を潰すよ。
 各地で女性達が頑張ってい居られるので、もっともっと地球と繋がっている女性達の参入を乞う。
※全国林業研究グループ連絡協議会女性会議が発行する冊子「はつらつ vol.19」にも徳島県の女性林研グループ『那賀川こまち会長の橋本さんの奥様』の記事が掲載されている。
 那賀川こまちの会のテーマとして、「健康な山づくり、林業に必要な知識、技術の向上、地域交流、女性の視点を生かした森林資源等の有効活用」を揚げて様々な取組みを行って来たとのことが掲載されている。
 あの素晴らしい山は奥様の意向が反映されていると思う。だって、息子さんが戻って一緒にやるまで、橋本さんと二人でチェンソー持って伐倒もやっていた奥様だからね。

 『那賀川こまち女性林研グループ』では、地域の珍しい植物の調査と報告も活動内容としてあるとお聞きしたが、現場での伐採も行っている女性も会員におられるとのことで、林業現場も自分たちでこなせる頼もしいお母さん達の林研グループの様子。

 さてさて、面白い生き方をしている若い人たちが増えて来て嬉しい。先年まで島根県庁の地域振興部に交流人事で高知から来ていて戻った若くて優秀な人が居るが、高知県庁の移住担当になった。相当忙しいらしい。
 高知は気質がオープンなので、移住者がもの凄い数で増えている様子。面白いのは土佐嶺北地域。時々移住関係で記事内にリンク張らせて貰っているヒビノケイコさんとか、イケダハヤトさんをはじめ面白い移住者達が沢山居る様子。その上、食べ物のレベルが高そう。そこにもお呼ばれした坂爪圭吾さんブログ)とか若い人の生き方が変わって来たことが解る。
 とくにヒビノさんのブログに登場する女性達のセンスと生き方、そして精神性の質の高さに感動する。やはり変革は若い女性からか。
 上手に社会や家族と付き合いながらの、自分たちの能力を自由に伸ばしている。

 林業ももっと自由に仕事ができれば良いよね。事業体の仕事の内容を聞くと全然楽しそうじゃない。
 前に居た神奈川の林業事業体の班長(山梨の道志村のおじさん)に聞いた話で、「朝、山に行こうとしたらイノシシが出たってんで今日は仕事は止め。イノシシ狩りだ!」「それで、イノシシ捕まえて、夕方からイノシシ鍋で一杯やった。」、という山仕事に自由が利いた時代の話。キノコ採りだ、山菜採りだと、仕事しながら結構楽しくやっていたみたいだ。
 要するに請負でやっていたから、仕事の緩急が自由自在だったわけ。

 話は大分ずれるが、其の時に話を聞いた若い連中が、「イノシシ食いてぇ〜!」、と言うものだから、オッサン達が用意してくれたことがあった。
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 右の画像は、丁度5年前の1月の終わり頃の丹沢の山の中。背負子で現場の尾根まで鍋や肉を30分程担ぎ上げてくれて、仕事中に焚き火を作って昼にイノシシ鍋をウドンで食べた。やっぱり、こうでなくちゃ山仕事はつまらんよね。
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 山からの恵みを頂きつつ、山の精を自分の身体に採り入れて働く。山には旨いものが沢山あるからね。それをロボットみたいに朝から暗くなるまでノルマ仕事で追われていたら、何のために好きな山で仕事しているのか解らん。
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 20年くらい前に研究所相手の仕事を辞めたあとに東京の裏高尾の森林組合の下請けで除伐を冬場にやっていたときも、先ず焚き火をやっていたね。雨で周りが濡れていても火が熾せないと山師じゃないとか言っちゃってね。休み時間の間にパッと火をつけて、また消して作業。
 其の後、林業に関わった5年前の、僕らは焚き火は結構やっていたが、今はやれないところも多いみたいだ。其の時は、山に上がるための人が通る作業路を唐鍬やバチヅルで作る事も多かったので、穴を掘ってから焚き火を作っていたので後処理も楽だった。穴が掘れれば焚き火も安心ね。

 上の画像はみんな5年前の時だけど、其の時の仲間の一人は、東京の八王子で樹上伐採ばかりやっていて、人が足らないからPCウィンチ持って来てよ、と言って居る。写真に写っているもう一人は、山主の娘さんと再婚して、親と一緒に自伐林家になったと言う噂。

 そうそう、余計な話ばかり書くけど、枝を切ってヒノキの葉っぱを焚き火で油が滲み出る程炙ると、昼休みの間、下に敷いて寝ていても暖かいって知っていた?結構、山のオッサンでも知らない人が多いんだよね。

 それで、わたしの親戚達は三重の漁師だった(今は歳食って丘に上がってしまった)けど、昔よく手伝いに行って、湾に出て仕事をしているとき、時々昼飯前に釣った魚を七輪で焼いてビールを呑みながら弁当食ったりしていたし、知り合いのお百姓も忙しい時は大変だけど、自分の采配で自由になることも多いし、農閑期の冬場は結構遊びに行っていたりする。
 それに昔の人の生業は一つだけじゃなくて、何でもやったし何でも出来たんだよね。

 要するに自営業には必ず余録やお楽しみがあるということ。だから長続きするんだよね。今は山仕事もサラリーマン化しているのでつまらん!という話ね。
 1年中、山仕事していなくてもいいじゃんね。様々な生業の内の一つで農閑期や自分が時間があるときに出来る仕事の内の一つだったらメリハリがついていいんじゃない。
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 そう言えば、「百業づくり全国ネットワーク」は、どうしたんだろうか。わたしは智頭で行われた第3回に参加して、結構面白かったし、其処でモキ製作所深澤氏に出会って直後から島根に何度も来て普及して頂くご縁を頂いた(わたしのところにはモキの薪ストーブがあるが、あとは竹ボイラーと無煙炭化器がデモ用にあるのでイベントや田舎暮らし自伐型林業体験講習で竹や薪の森林資源活用体験も出来る。雲南市or高津川流域)。
 百業づくり全国ネットワークは、いいコンセプトだと思うので、復活してもっと広まって欲しい。

 ということで、自分は山を愛しているからこそ林業ロボットにはなれないわけ。他の仕事で食べながらでも山に関わって行きたいと模索中。


【大型林業を推進していると言われるドイツでは実は自伐型がピラミッドの下を支えていることの再確認】
data ところで、大分以前の中嶋健造氏のプレゼンのデータ(右画像)では、ドイツにある林業事業体45万の内の8割が自伐林家であり、その6割が農家の兼業とのことだった。

 農家民宿や酪農家の兼業との事。向こうは大きなトラクターをみんな持って居るので、それで搬出をしている。
 トラクターには色々なアタッチメントが付けられるので、重たい材を曳き出せると言うわけ。

 そして山岳地帯では農家の人が森林マイスターの資格を取って、積極的に森林経営に取り組んでいるそうだ。

 結局、日本の林業は大型化一辺倒になってしまったから、山主も山の保全作業を丸投げするようになってしまい構造自体がおかしくなったわけなので、其れを転換して、大規模でしか出来ないところは、もっと洗練した仕事ができる様になり(山を壊さない様に)、其れ以外の裾野は自伐型・副業型の林業で支えていければバランスが採れるということでしょ。


【山仕事は危ないけど、もっと危ない事は他にいくらでもある。問題は意識レベル】
 で、山仕事は危ない? それは当たり前。

 でも、パワフルな道具を使う車やバイク(や他)のレースでも、もっとシンプルな自然の中でのエキストリーム的な遊びでも、それからエクスペディションでも、林業よりももっと危ない事を能動的にやっている人たちは沢山居る。

 それらを行う動機の根幹は、如何に不安定な状況をコントロール下に置くかということ。そして、そういった遊びではアクションのタイムスパンが、林業よりももっともっと短い。その様な状況の中でも、微妙なバランスをとって、自分のイメイジしたことを成し遂げることを多くの人がやっている。

 だから、林業・山仕事も今後もっともっとレベルが上がる可能性がある。と言うか、もっとレベル上げないとね。それには携わる人たちの心的素養が抜本的に転換できないと。なので、エゴのレベルを超えた素直な若い人たちに期待するわけ。

 そもそも、今の林業事業体で働いているオッサン達の中には、素人に毛が生えた程度の人たちが沢山居る訳。それも、見よう見まねでやっていて、事業体自体が大した技術も無く、人にも教えられないレベルのところが無理くり仕事をしている訳で、だからろくに講習を受けていない自伐林家参入者たちだけが危ない訳じゃないと思う。

 でも、自伐を推進する人たちはもっと安全管理に関して教育出来る仕組みを作らなければ(実際に死亡事故は起きているのだから)ならないのはもっともな事。
 掛り木処理に於いて適切なロープワークが出来たり、軽くてパワフルなハンドウィンチが使えるだけでも、安全性が飛躍的に高まるしね。

 そして、アーボリスト達の智慧と技術と道具を応用すれば、もっともっと安全で楽な作業を可能に出来る。
 もちろん、それでも危険作業であることには変わりない。

 それは地上での話だが、アーボリストという様々な道具を駆使して樹上での伐採を安全に行う人たちに関して言えば、もっと危険度は高い。でも、使う道具の安全率は厳しく保持して微妙なバランスの上で作業を遂行している。
 彼らは単なる樹上作業者ではなくて、生産・管理・保全など樹木を対象とする技術者だそうだ。日本に於ける造園業・樹木医に近い立場になるらしい。(※)全林協刊 林業現場人「道具と技vol.1」から

 故に誇りがあるし、安全に対する認識レベルは格段に違う様に見受けられる。つまり危ないから事故が起きる訳ではないと言うこと。
 今の林業は誇れる様な仕事内容になっていないから意識が低下するし、受け身的な無責任な仕事の仕方をするから自分自身にしっぺ返しが来ている様に思える。

 まずは、『樹を金やモノにしか見えない自分の心を見直した方が良いかもしれない』。山からの恵みを頂いて、自分や家族が生かせて頂いている、という観点が無くなった時点で、ガツガツと危ない作業をやれば当然粗雑な仕事の流れに落ちて行っても不思議ではない。

 あとは、土木工事もそうなんだけど事故が多いでしょ? 母なる地球に傷をつけるのって、正当な目的と意図がないと負のエネルギーを受けると思うんだよね。

 自分の経験だけど、以前10年間くらい、炭素質埋設という仕事の手伝いや自分自身でもやっていたことがある。地面に穴を掘って地中にある程度のボリュウムの炭素(何でもいい訳ではない)を埋めると、土地の地磁気の乱れを整えて、土中微生物を活性化させる効果があり、また電気的にも還元環境になるのだ。
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 その際に、そのエリアの電気的環境が変動する。地中には地電流が流れているのだが、μアンペアレベルを診る事が出来る電流計で観ていると孔を掘る事によってバランスが崩れて電気の流れが変わる。損傷電位というが、人間も同じで怪我をすると其処に電位差が出来て電気が集まり修復しようとする働きが起こる(相似象学会誌から)。

 此れは大地でも同じで、同じ様に損傷電位が出来て電気場が暫く動く。また、地球はダイナモそのものなので地磁気があることをみんな知っているが、それがどういう影響を与えているか意識していない事が多い。鉄骨のアパートやマンションなど、また自分が住んで居た軽量鉄骨の家で、地磁気を測定するともう無茶苦茶。調子悪い。

 そして、木造の実家に帰って寝ると、朝もスッキリするし身体が弛むのが解る。その相関関係を認識出来ていない人が多いと思うけど、免疫が落ちたり、身体が冷えたりするのはそういった磁場の狂いも関係するはず。
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 え〜、何が言いたいかというと、地形を変えたり地面に穴を掘ったりすると、其の現場では環境の電気場に変動が起きるので、人間にも影響がある可能性が高いということ。
 また、場所によって最初から地磁気が乱れていたり、地電流の流れが不安定だったりする場所があるということ。

 そういうところでは、極微弱な電流で作動している生体、我々の事、脳も同じくだけど、誤作動が起きる可能性がないとは言えないだろう。

 土木や林業に於いて、見た目では解らなくとも非常に電気場を乱しながら行う作業内容なので、先ずは頭を下げて謙虚に、そして余裕を持ってやらないと、自分自身が影響を受けてしまう可能性があるわけね。

 と言うか、私たちが炭素埋設の工事をやっていると現場現場で、結構色々な事を感じたから経験値として書いている。
 故に、自分自身が何を感じて、どの様に生きたいかとか、何のために仕事をしているかということをチューニングして居ないと、乱れた波動に取り込まれて危ない事を行ってしまう事があるのね。

 シリアスなギリギリの事を精神を研ぎすませてやっている人たちは解る事だと思うけど、自分じゃない意識が入って来て、判断が乱れたりすることってあるんだよね。此れって、電気場の乱れだけではないかも・・・

 だからこそ意識のチューニングの仕方が問題。林業作業員ではなくて、いや林業作業員でもいいんだけど山守としてやっていきたいんだったら、此の程度の感覚は持っていないと無理かも。だって、樹や大地と対話しながら山造りの手伝いをするわけでしょ。だったら自然界からのメッセージを受け取れないとね。

 自分の狭い思考(左脳的論理に傾き過ぎた狭窄視野)だけでやっていたら何事も危ない。理屈を超えた感覚や受信能力を高めなかったら危険予知というか、五感で感じる違和感を抽出することが出来ない。そして第六感。
 または身体感覚。何かを感じる前(意識上に上る前)に既に身体が反応して、動いているという経験をどれだけ体験しているか。これは短いタイムスパンの出来事だけでなく、人生上の流れでも同様。

 つまり運みたいな話。しょっちゅう怪我をしている人間は何度でも怪我をするし、事故ばかりやっている人も同様。
 此れは意識下のプログラムにバグがあるのが理由で、安全の為の研修以前にもっとやらなければならないことがある。

 自分でも認識出来ない意識下に溜め込んだ歪んだ記憶を表に出して来れないと自分自身のプログラムのバグを受入れられない。素直な人じゃないと全部へ理屈で否定するからね。此れは左脳の得意技で自己肯定のための理屈や嘘の論理を幾らでも創出する。
 なので抑鬱された感情の解放しないと攻撃的になるか自滅的な行動が出るかになる。自己処罰と言って、自分自身で自分を裁く行動を無意識的に行うことがある。その個々人の意識の偏向性が俗に云う運という形になって表出してくるわけだ。

 その運というのは、自分や家族達の魂に刻み込まれた自分たちで作ったプログラムだから、当然組み替える事が出来る。但し、自分というエゴの殻を厚くして、社会や他人と分離してしまった意識が強い人には簡単な事ではない。
 でも、やる事自体は簡単で、自分たち以外の存在へ、対価無しで如何に差し出していくかどうかということ。言葉で単純に言えば、昔から言う陰徳を積む事と、感謝の気持ちで生きる事につきる。

 今では心理学も進み、脳生理学でも色々な事が解明されている。心理療法も様々なメソッドが実効的に行われている。我々がもっと賢く行動出来る基盤が普遍化しつつあるので、それを受入れようとするかどうかかな。

 All My Relations! ホピの言葉。わたしは全てと繋がっている。自分の計らいを捨てて、ギリギリで生きてみると感じられると思うのだが。

 世界中のネイティブたちの長老の言葉や言い伝えは戯言ではなく素直に聞くべく真実を伝えている。また、初期仏教の人間の意識に対する洞察は、未だ現代の深層心理学を持ってしても追いついていない。
 そして最新の量子物理学にしても観察者が居るだけで量子の振る舞いが変わってしまうという発見は、何千年も前のインドのウパニシャッドにして解っている事実だった。
 1万6千年間も大きな戦いがなかった縄文時代の人たちの精神性の高さは、其の暮らしぶりからも解る様になったのは最近のこと。

 今の文明は、この地球上で何度も天変地異が起きて滅んだ文明を最初から原始の状態からやり直して5度目だとか6度目だとからしい。
 大昔からの遺物をみればさもありなん。今の人間の精神性を省みても然り。

 何かで読んだ『山や自然を大切にしなかった地域は滅んでいるという歴史的事実がある。』ということ。今の世界各地の状況をみれば一目瞭然。
 でも、日本は海外の森林を犠牲にして(盗伐のものを含めて)、今の日本の資材を手に入れている。日本はこれだけ多くの森林資源があるのにだ。此れも安ければ良いという市場原理の乗せられて踊っている無責任な人たちが多いから。

 だから、自伐型の精神が広がって行かなければ、大昔から大自然を神として手を合わせて来た日本人の根幹が無くなってしまうことになる。そうすれば粗い価値観の人たちに乗っ取られて、何とか守られて来た日本の豊かな森林資源も崩壊してしまうだろう。

 其の時は、何をもって日本人と言うのか。自分的なイメイジは、お爺ちゃんお婆ちゃん達が、『ありがたい、ありがたい。これもお天道様とご先祖様のお陰。』、と謙虚に感謝しながら生きている姿。

 自然の恵みに感謝しながら質素に暮らし、そして困っていても何か貴重なものがあったら、『お宅様がお先にどうぞ。』、と他人を先にして、自分は後ろに回るという精神性を持って居る人たちが多いと観ていた。

 此れは過去の話ね。それが太平洋戦争後に、物質主義が蔓延してそんな気持ちを持つ人が少なくなり、その人が今度親になって育てた子供が今の社会の中核だから益々拝金主義が蔓延しているし、今の年寄り自体がほんと欲かきの人が多い。

 自伐型の林業に関して云えば、植えたまま放置していたり、ろくに間伐をしていなかった放置林を、地域の若い人が奇麗にして少しでも良くなり、材を木の駅とかに持ち込んでお金になった話を聞くと、それじゃあ半分金を寄越せとかになる。

 山主は只で間伐してもらって、残った樹が陽当たりが良くなる事で育って大きな樹になるから、それが財産を殖やす事になるのに、危険を冒して、大変な労力と自己資金を使って山を整備してくれた若者から、何もしない年寄りが利益の半分も寄越せと言うのはおかしいでしょ。

 でも、どこもそんな話が多いんだよね。どこかの町長ももの凄い山持ちで、移住者の若い連中に山を任せて奇麗にしてもらい、若者達が少しでもまともに暮らせる様にと進言したら、「売り上げの半分は自分に戻す様に!」と言ったらしい。こんな人が首長ならば、人口減少率の最先端を行き、やがては消滅自治体になるのは目に見えているよね。

 だから、行政が条例改革などで放置林に対して持ち主以外が活用出来る制度づくりをしたところが、今後人口維持の政策にとって非常に有効だと思うんだけどね。但し、事業体に任せるとどんなことになるか解らないから、集落営林的な流れを大きく育てて行った方が地域を守り、維持する上では正当な流れであろう。


【小さな林業で地域と下流域を守ろう】
 今は世界的な天候異常が起こる時代に入っていて、海外では日本の比ではないほどの大災害が起こっている。日本でも局地的な豪雨災害が起きているけれど、放置した山や皆伐した山が要因となり豪雨と相まって激甚災害まで発展しているケースがある。

 豪雨によって山で災害が起きたら、下流域の街が水没する可能性がある地域は幾らでもあるはず。山の在り方が、即、街の生活にも影響する時代になってしまったということ。

 そういう時代に生きて行く若者達、山造りが出来て住んでいる地域を守れる様な山人としての素養をつけて行く必要があると考える。

 でも、危険度を知らないで参入する訳でもなく、金儲けのために、または生活のためだけに携わる訳でもなく、危険であることを身体で理解しつつ、 それでも尚且つ好きだからとか意義が有るから食べられる様に工夫して行こうという自立意識の上で能動的に取り組む場合には、例え危険であってもコントロー ル下における度合いが高いと考える。

 しかしながら、人は心乱れたり、体調が優れなかったり、またはバイオリズムが低下気味だったりすることがあるものなので、現場での技術的なことや安全管理だけでなく、生活自体をマネージ出来るかどうかも大事な要素となる。
 当然、仲間を守る意識や自然を守ろうとする意志を持てる様になることが、やがて自分自身の小さな自我を超えて、自分自身が生かされているということに気付く扉を開くことに繋がって行くのかもしれない。

 また、大災害や紛争などで長期に亘ってライフラインが閉ざされた際に、安全に山の木を伐って搬出出来る力があってこそ、多くの人の生活拠点の確保、薪などの燃料の確保などの生活基盤を整えることが出来ると思う。

 この世界経済もおかしく、そして気象異状ばかりの時代には、アナログ的な地力が大事であり、山の資源を自分たちで出して来られる山仕事が出来てこそ、大事を小事で抑えることになる。そういった力を若い人が持たなければ、予想される混沌とした時代を乗り切って行くことは厳しいだろうと思う次第。

 そういったEarth Keeper的な意識をもって山を守る人たちが大勢育たなかったら、荒っぽい林業に堕ちてしまった今の施業の仕方では必ず大きなしっぺ返しを受ける事になるのは明らか。山に入って居る人は、どんな施業がされているか見ているでしょ。

 そして、今の山持ちの人たちは、業者に委託して山を皆伐(丸剥げ)にさせておいて小金を稼いでも、その後に苗木を植えて再度森をつくり直す再造林をやっていない事が多い。
 土砂が流れ込んで川がダメになったり、土石流の原因になって水害を起こしたとしても、山の裾に棲む人がどうなっても知らないよって訳だ。

 此方じゃ、山を丸ごと売って丸禿にしたのは自分なのに、田圃に水が来なくなったと文句を言って居るアホな山主が沢山居ると、知り合いのオジさんが言っていた。

 生態系の最上位に居て、地球上の生命体の全てのDNAプログラムを持って居る人間には、地球環境を維持していく義務があるのは考えれば解ることのはず。それなのにネガティブなことばかりやっていたら、地球母さんがもう嫌だとブルッと身震いしてリセットしても当たり前。

 もう、そんな時期が来たんじゃないですか? そして身震いがあった後に幸いにも辛うじて生きている事ができたのだったら、やっぱり山の木を頂いて、それを利用して住処を作り燃料を確保する事から。

 その為には山のあらゆる事を身につけていける若者達が大勢育っている事が必要だと思う。大型の高性能機械を動かせる人が大勢居たって、数が知れているからね。それよりも、自伐的に小さな機械や智慧の積み重ねで、自分たちで材を出せて来れた方がよっぽど役に立つだろう。

 先ずは意識転換ありき。それには素直だけど、今の林業に染まっていないで自由な発想ができる人たちが大勢参入して来た方が早いと思う。
 それには、人の意識とか行動原理とか心理学的なアプローチをもって安全確保のためのシステム構築を行いたい。


4IMG_9400 のコピー【日本人向けのチェンソーワークとチェンソー】
 安全の為のチェンソーワークについては、前の記事に書いてあるので此方もご覧頂ければ幸い。
NPO法人ジット・ネットワークサービスによる、
7月27日28日 島根県林研「女性のためのチェンソー講習」

 このページに載せているわたくしめの愚妻は、正真正銘の初心者で、この講習以前にはトップハンドルチェンソーのスチールのMS150で、細いナラ木の玉切りをちょっとだけやった事があるだけだった。
 それなのに、載せている画像の様に安定したフォームで突っ込み切りを何度もやっていたのだからジットのフォームの教え方の美点を改めて得心した。

 わたしは目立てについては、故永戸太郎先生に教わった事があるが、チェンソーワークについては特別教育以外で教わった事がない。ちょこっとだけ所属していた林業事業体でもちゃんと理論だって教えられる人は居なかったしね。

 で、ジットのチェンソーワークしか知らないが、非常に論理的だし体系づけられているので目から鱗で解り易い。また、自分が初心者の人に教えるにも教え易い。プロが受講しても学ぶところが大いに有る様だ。と、言うかプロでも、まともな人に体系的に教わった事が無い人が居るのかも。

4edaharai7 目立てについても自分的には永戸先生よりも解り易かった(先生を更に進化した感じ)。またチゼル(角刃)とかの刃付けには各論が様々にあると思われるが、基本的な刃付けの理論は解り易いし、そして人に伝え易い内容である。

 これはジットの伐倒や枝払いの技術講習(リンクページの最後の方に画像を載せてある)に関しても同じ。
 受けや追いの造り方に関しては、現場や樹種、樹の状況に合わせたノウハウについては、プロ達がそれぞれの蘊蓄があると思うが、それよりも基本的なフォームとかポジショニングなど、特に安全に関わる内容についてのジットのメソッドは徹底してシステマチックだ。

4masuda7-3 例えば、立木の低い位置に受けや追いを入れる際に、プロの方であっても人差し指でスロットルコントロールしているのを見掛けるが、それだと脇があまくなる。
 人差し指ではなくて、親指(の付け根)を使ってスロットルのトリガーを行えば右の脇が締まるので安定して低い位置のチェンソーをホールド出来る。

 すると、右画像の初心者の様に驚く程フォームが安定し、観ていても安心感のある伐倒を出来る様になるのだ。前に書いた記事の「7月12日「益田市」チェンソー講習 in 匹見」にもそんな話をちょっと書いている。此の中の画像はスタンディングポジションだが、立木の低い位置に受けや追いを作るのも理屈は同じ。

 ジットの講習では、親指トリガーで、そして(切れる刃をもって)低回転で樹を切ることをジックリと教えられる。切れる刃のソーで低回転で受け口を作れば、刃が暴れずに面も奇麗で、会合線もピッタリ作れるからだ。

 腕力の弱い日本人が重たいチェンソーを持って脇を開けたまま振り回していたら、キックバックやプッシュバックを受けた時に押さえが聞かないのは自明の理だと思う。

 と言うことで、日本人は日本人に合ったチェンソーワークを行えば良いし、軽めのチェンソーが開発されても良いと思う。
 重たくてパワフルなチェンソーを使いこなせる人はそれでも良いが、体力の無いわたしの様な人間は、出来るだけ疲れずコンスタントに作業が出来、かつ破綻して怪我の無い様ににしなければ、トータルで効率が悪くなるし、結果もでない事になる。怪我などして人生を棒に振ったら、そんなつまらない事無いでしょ。

 危険な仕事と言うのは外に向かって見せる様な意識状態は絶対に排除しなければダメ。常に自分自身との会話ありきで、言語化できない部分の直感とか感覚、身体意識からの信号を拾うための能力を高めておかないと無理。あとは、鬱屈した感情や不満心は解放しておかないとね。

 自分の場合、昔から危なっかしい事をやっているけれど、攻撃的な奴とか淀んだ意識の人、感情(意識下)が乱れた人とかとはバディは組まないね。人間って、最終的には理屈で動くんじゃなくて感情(自分でも認識出来ない潜在意識のプログラム)で行動するからね。

 山仕事でも、やったらダメだと言うことをわざわざやる奴って多いでしょ。自己破綻タイプ・・・シリアスな現場って、そういうのが炙り出され易い状況が出来ちゃうんもんね。
 だから、楽しい前向きな連中とであれば、危ない事やっていても事故にならないし。

 道具類の破損、破断? 当然前向きであれば、道具の手入れもちゃんとするよね。其れに、道具が汚かったり、周りが乱れていたりする人には近づかないし縁が出来ない。道具とその人の精神状態は相似象。乱れた波長の人と縁が出来るのは自分自身の問題。解決すべくテーマがあるということかと。
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 例え人柄が良くても、持っている道具類が全体に錆びていたり油で汚かったりする人は危ないなあ。一緒にやっていて死ぬかそれとも大怪我しそうだったことあるしね。
 18mmワイヤーが切れて荷が落下して来たのよ〜。ワイヤーは巻き癖が付いているから、切れた時には周りを巻込みながら飛んで行くから怖いんだよ。

 でも、自分の場合、運が良いから大丈夫。フッと思って切れる前に場所を移動して事無きを得たし。
 皆さん道具を雑に扱い過ぎていませんか?

 自分の道具に愛着を持てるかどうかというのも大事ね。道具は只のモノとしか思えない様じゃ、手入れをして事前に不調の原因を排除出来ない。だから、刃物であるチェンソーも最高の状態にして置く様な心の姿勢が、他の道具を扱う時にも故障の原因、破断の原因になることを見抜く眼を育てる事になるのでは。

 ふと思いついた様にボルトを触ったら弛んでいたとか。そんなことはよく有る。直感を無視しないで、素直に思いついた事をやってみると、実は・・・なんてことがあるのです。
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 それには道具類を大事にしていないとね。わたしは道具好きと書いたけど、大分以前にも全林協さんの手道具の本にも書かせて貰って、この本の四分の一くらいは私が書いたもの(ペンネームだけどね)。
 其の中でも、「愛着のある道具を使う事が安全につながる」「山への感謝の気持ちで安全につなげる」「道具を研ぐー自分の感覚を磨く」という項も起している。

 他にも熱可塑性樹脂のカイデックスを使った刃物類のシース(鞘)の作り方なども書いているので役に立つと思う。
閑話休題・・・

 そして、排気量の小さいチェンソーでも、切れる刃付けが出来ていれば、力はあるけれど重たくて切れない刃のチェンソーよりは使い易い。ちゃんとした目立てが出来ている事で、チェーンの破断、負荷からくる故障、燃費の悪化、体力の消耗とストレスからの解放される。パワーのある機種程、刃が切れなければ、此れ等のネガティブな要素を全部実現するからね。そして修理代が掛かる。

 それとは逆に、エンジンが小さくとも刃さえ切れれば大木以外はOK。当然、重さやパワー、そして切れないことによるフォームの乱れから来る事故やトラブルにつながる要素も排除出来る。

 だからジットは先ず目立てをしっかりと教えるところから入るのだろう。そして安全な、チェンソーをコントロール下に置くためのフォーム作りだね。

 表向きには一時的な流行で終わってしまうかどうかこの先は解らないが、自伐的な考え方は今後更に定着して行くだろうし、林業とまるきり関係のなかった人たちが参入して来る流れは、地方に還流する傾向が強くなって来た今、今後さらに増加する可能性があると思う。
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 また、林業女子などと言う言い方があるけれど、女性でも扱い易く安定して扱えるタイプが出てくれば、裾野が広がろうとしている現在、チェンソーメーカにとっても新しい市場を作れるのではないだろうか。

 直ぐに調子が悪くなってしまうようなホームセンターバージョンのものではなくて、軽いけれど(本体乾燥重量4kgまで)質感も良い格好いいプロ用の機種を日本のメーカーさんに作って欲しいなあ。

 例えば、右は両方とも35ccの排気量で、本体重量が3.9kgの機種。

 この件については、また記事を改めたいと思っているので簡単に書くが、上のスチールのMS201Cはプロがサブ機に使うのにはいいけれど、初心者がメイン機にするのには向いていないと思う。

 先ずは右上の画像で観ると解る様に、前ハンドルと後ろハンドルの距離が長い。日本人の小さい人にはちょっと向かないかも。その上、この機種はCなのでC-EでもなければC-EMでもないので、始動の際のコンプレッションが落とせないから35ccの癖に、力がないと掛け難いのだった。その上、熱間時の再始動性は絶不調だったなあ。調整しても同じだった。

 それから、刃がチゼルタイプ。いわゆる角刃で、プロの研げる人には良いけれど、素人が刃付けをするのは非常に難しい。刃付けがフックになりやすく、食い込み過ぎて振動が大きくなりがち。
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 他には、エンジンの配置の構造上、排気のスラッジがマフラーカバーのルーバーというか格子状の樹脂パネルの裏表ともべったり付くので掃除してもしても汚らしい。それからチェンソーの底面がゴミが溜まり易かったり傷が目立ったりする構造なのでメンテの際に結構落ち込んだ気持ちになる。

 オレンジ色のチェンソーは共立のCS356。刃は標準的な25APとセミチゼルタイプの91VXLのどちらかを選べるから、素人でも目立てはやり易いし、(余り太くない樹の)伐倒や枝払いのときにも91VXLは良く刃が入って行く。
 そしてシリンダーが寝ているスチールの201と違って、標準的なシリンダーが立ったタイプなので高回転も伸びる。軽いので、ちょっとした樹の間伐や枝処理は可成り楽。
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 ただ、残念なことに標準のソーバーが安っぽく弱いこと。竹用のバーに付け替えればましになるが確か1万円位掛かる。

 あとはバンパースパイクがクランクケースの鋳型で作られて居るので安っぽい(右画像は、バンパースパイクをディスクグラインダーで削って尖らせてある)。が、小さい機種でバーの長さ目一杯使うというのであれば要らないと言えば要らない。

 でも、初心者がチェンソーの基本的な使い方を身に付けるためにはちゃんと突き刺さるバンパースパイクは付いていてくれると嬉しいと思う(写真の様に自分で加工しても良いんだけど)。

 あとはデザインとか質感が今一なので、折角だから、新しく出たトップハンドルチェンソーCS251T/25RC25の様に気合いを入れてモデルチェンジして作り直してくれれば、此のクラスの機種としては秀逸なものが出来ると思うのだが。
 そして共立の美点として燃料・オイルとも注入口はゴミがタンク内に入り難い形状。そして始動性良し。

 此の手のクラスのしっかりした造りのものがあれば、チェンソーが始めての人が購入して、後にちゃんと扱える様になってから更に大きい機種を手に入れたとしても、枝払いやちょっとした造材などにも軽くて使い易いので、併行して使い続けることが出来る道具となる。

 この辺は、時代が変わりつつありチェンソーを買う人の裾野が広がっているのだからマーケティングをもう一度考え直した方が良いんじゃないかなあ。営業歴40年近くになる感覚がそう言う(学生の時からやっていたからね)。
 ホームセンターに並んでいるチェンソーを卒業した人が食指を動かす機種を作って下さいよ。

 あ〜あ、今回も能書きが長くなってしまった。仕事しなくちゃ・・・ヤバいっ!

以上