6IMG_9838 前の記事に引き続きカービングネタ。と言うより長くなったので記事を二つに分けただけ。


【心から感動するアート】
 林さんのカービングの記事は3年前から書こうとしていて今になってしまったが、技術以前に林さんの作品が好きで、初めて見た時に夫婦で速攻一目惚れだったのだ。

 一方、10月の9日10日に京都の福知山で開催された林業機械展に行った際にファナーのブースで北海道の児玉光さんの作品を置いてあったが、その作風は一目で作者が解るもので、それまで本でしか見たことが無かった(梶谷哲也の達人探訪記)けれど、本で見でさえ素晴らしいオーラを持った芸術作品なのだ。

 お二人ともアメリカの世界大会に出て賞を取っている人たちなので其々の持ち味があってどちらも素晴らしい。それでも、自分の場合には家には林さんの作品が欲しいと思う。

 うちの嫁さんなんか、林さんが作品を作っている時に観ていると、木から命が生まれて来るその様に感動して涙を流しながら観ている位なのだ。
 チェンソーでそんなことが出来るなんて凄いですよね。やっぱりアートだな。

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【人間の可能性?】
 その林さん。学校で彫刻とか粘土で作品を作るとか一切習ったことが無いと言う。

 一定のボリュームのある丸太を前に、頭の中のイメイジを、其処に現出させることが出来る能力が凄いと思う。それもチェンソーの様な動力を使うスピーディな作業に於いてだ。

 空間把握や造形など三次元的な要素、そして時間軸状の因果関係を瞬時に把握出来る能力は右脳にある話は他の記事にも書いているが、創作者はすべて此の能力が優れている(山仕事で言えば、伐倒、掛り木処理、搬出などで、此れをこうやったらああ成るが、障害物が悪さして其れでこうなりそうだから、一旦此方をこう処理して・・・等という際のイメイジ処理は右脳の仕事。今の覚える事ばかり、マルとバツばかりの二元処理的教育は、左脳を優位にしてしまい、へ理屈ばかりで現場で役に立たない人間を育てる。情報に価値が有ると思い込まされている人間も同じね。社会生活に於いても、閃き直感などの本質を見抜ける智慧を活用出来ないと今の世の中では搾取される側になってしまうのでは。そういう意味で山仕事は、右脳と左脳が高度にそしてバランス良く働く様に鍛えるために最適かと思うのだが如何か)。

 また、本物の山師ももの凄い能力を持っている(山師は論理的思考方法の左脳もバランス良く左右共高度に働いて居るが)。そして特殊伐採のアーボリストたちも同様に凄いぞ。あと、忘れてならないのは、林さんも同じだが、この人たちは生き物に対する愛情が深いことが共通項かな。

 私見だが、山関係に関して言えば、樹や山、其処に生きるものなどの自然に対して愛やリスペクトを持っていない人たちは、例え腕が良くても只の作業員、もしくはロボットに見える。それは、自分の道具に対しての姿勢も同じかも知れない。職人というのは実はもの凄く教養深かったりする。仕事の肩書きなどではなく心がけの意味で作業員なのか職人なのか山守なのかを選ぶのは自分次第。

 それに、道具を大事にしなかったら故障だけでなく、山仕事の場合には事故に繋がる。樹や山や仲間、そして道具にまで対して意識を伸ばしていき波長を合わせて、相手の都合や状態をキャッチするセンサー。それは自分自身を超えたところにある。他の存在と繋がれるかどうかで、人間が勝手に作った資本主義社会というシステムの内のロボットなのか、それとも人として自然界の一部として生きているかの違いになるのでは。
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 自然の恵みに対して収奪の意識しかなかったら、この世界はどうなってしまうのだろう。動力をぶん回して自分の都合ために自然界を壊していたら、そのツケは誰が背負うのだろうか。

 全体を生かすために、また育てるためにバランスを採ることで、そのおこぼれの恵みを生きる糧とさせて貰う位のマインドでなかったら、自分たちの首を絞めてしまうことは必至。って、もうそうなっているんだけどね。

 だから我々は生き方を変えたいと思っている訳だ。自然に対して愛とリスペクトの想いを持って整備作業と育林作業が出来る人はどんなレベルであっても山守に成れるのではないか。林業界の体質改善は、そんな素朴なところからが大事に思えるし、そういった人たちが今後増えると良いなあ、、、という能書き終わり。

 さて、林さんがチェンソーの扱いを誰か特別な人に習ったかどうかは聞いたことが無いが、ログハウスビルダーでもあるのでそれでチェンソーの扱いが上手くなったのだろうか。

 カービングは本業になってないと聞いているので、何で食べているのかと尋ねると、大工仕事の手伝いに行っていると言う。好きなことをやっていくには、その方が良いと言う。共感

 また、作品を作って売っておられないのだが、頼まれれば彫るそうだ。一体を商品として作るのはもの凄く大変なので価格をどうやって付けて良いか解らないので、頼まれた時にだけ作っているらしい。
 でも、噂で聞くと可成りお安くやってしまっているらしい。田舎の人はホントこういうものにお金を出さないからね。都会だったらゼロが一つ違うのではないだろうか。

 でも、そのスタンスは、この魂が籠った作品からも解る。どれも優しげで、また愛嬌があって癒される作品なのだ。それも林さんの人柄から来ている。

 林さんは腰が低く率直に誠意をもって接してくれる。メイルでの対応も同様。今の世の中、自分が(情報なども)受け取るばかりの人が殆どだけど、林さんは差し出す人側のタイプ。心に余裕があるんだよね。

 だから独学でこんな作品まで作ってしまう。道具を見ればその人がどんな人か伝わって来るけれど、さらに作品は全部自分の内側をさらけ出すからね。そして、何と感応して融合しているかでしょ。林さんの作品は癒し系? 愛が籠っている作品だと思う。共感する人が何処でも同じだから、アメリカでも毎回優勝しているのだろう。林さんのブログ「ログ鷹日記」はこちら。※2016年12月にHPを開設されたそうだ。ギャラリーページにはダイナミックな素晴らしい作品が掲載されている。が、自分的にはサイト内のブログの猫寺の写真も好き。
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【林さんの道具】
 チェンソー沢山。デカいのから小さいのまで。門外漢なのでよく解らないが、同じものも複数ある。
 実演の途中で燃料とオイルを足すのが面倒だからと言っておられた。

 で、刃付け。凄かった。使い込んだ刃でも、全部同じ大きさで同じ角度で機械でやった様に揃っていた。カービングは石などで刃を飛ばすことは無さそうだから凸凹にはしないだろうしね。

 そしてどれもピシッとしていて美しい。刃物はやはり美しくなくちゃね。

 右の画像は3年前のもの。今回も覗き込んで来たが、小さいもので若干フック気味のものと大きいものでバックスロープ気味のものが見受けられた。

 聞くと、以前は上刃目立て角を縦挽き用にしたり、また横刃もフックとかバックスロープ気味とか色々やったけど、杉が材料なのであまり変化がないため、今はメーカースペックに忠実に刃付けをしているとのことだった。

【子供から、そして子供の心をもった大人?まで受ける作品】
6P1110238 初めて林さんの作品を見たのが、島根県西部の吉賀町の柿木村で開催された学校マーケットの時。3年半くらい前かな。

 廃校になった小学校の木造校舎を使っての、地域近隣の人たちが作ったものを販売したり展示したりするイベントの時だった。

 柿木村は30数年前から村全体で有機農法に取組み無農薬で作物を作っている地域。
 明治時代から独立独歩で来たが、平成の大合併の時に隣の六日市町と合併したが、名前は村のまま。

 地域全体で有機農法に取り組んでいることに惹かれて都市部から大勢の若い人たちが移住している。

 その為に、この学校マーケットでは、若いカップルやファミリーも多く参加、また来客していた。


 二階の展示スペースに上がって行く昔ながらの正統的な木の階段に鎮座ましますカエルさん。幼児の魂から抜け出られない嫁さんが直ぐに反応。

 着色されて益々可愛さ倍増のカエルさんは、未だにわたしの携帯電話の待ち受け画面で活躍している。6P1110306








 二階の廊下にはワンコたちがお出迎え。






 子供が作品を見つけた日には良い遊び相手になり、ワヤクチャにされていた。6P1110246













 それにしてもチェンソーアートは木造校舎に似合うね。


 此の年の秋には、吉賀町に二つある道の駅でイベントが行われ、そちらで実演も林さんが行った。6P1110157

















 展示作品も小から大まで。
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 こんなのが家の玄関に何時も居たらどうしたらいい?
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 ちょっとだけ怖そうなのが居ても、どこか可愛いから通りすがりの買い物帰りの奥さんも乗っちゃうもんね。
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 此の翌年は午年だったんだね。この馬は1時間か2時間くらいで削り出していた。
 今でも柿木の道の駅に飾ってある。




 林さんは島根西部に接した山口市の阿東在住なので、隣の津和野では、軒先にこういった作品を置いてある家も何軒か見受けられる。











【50匹の猫展での実演】
 山口県萩市の猫寺での実演二日目の朝10時丁度に着いたらもう始まっていた。

 平日なので年輩の方ばかり。でも、皆さん熱心に見入っている。前日に大体のフォルムが出来上がったのだろう。二日目は仕上げに向かってディティールを刻んで行くのだが、おっと!腕は後付けだった。
 丸太の太さとの都合でそうなったのだが、最初は腕になる木の塊の接合点の形を一生懸命刻んでいた。それを果たして、どうやって本体に接続するのかと思ったら・・・
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 なんと!突っ込み切りでホゾ作り。そして板きれもチェンソーで刻んで作り、腕の方にもホゾを刻む。なるほどね〜!

 まあ、其れにしても良く切れる。杉材だから余計そう感じるのだろうけれどバターナイフの様にするすると切れて行く。

 カービングバーは先端が細いので、基本キックバックが無いそうなのでスイスイと入って行く。やっぱり刃物は切れなくちゃね。
 目立てがマトモに出来ない人はカービングどうして居るんだろう。おっとっと、わたしも人のこと言えないって・・・この間、日本森林管理技術・技能審査認定協会の伐木造材のランキング6IMG_99256IMG_9938検定審査会でボロ出して主審の石垣氏(ジット・ネットワークサービス)にダメだし喰らったばかりだし。




 そうそう、伐木造材的チェンソーワークからすると、カービングでのチェンソーの扱いはバッテンばかり。


 キックバックが無いことが前提だろうけど、其れにしても裏に表に縦に横に自由自在。

 捻って煽って、その上、逆手でも同じ様に使いこなす。



 他の方の作業を見たことがないのだが、上手い人はみなそうなんだろう。

 そうで無かったら大会の制限時間内で作品作れないしね。




 それにしても林さんのワークは見ていても不安感が一切無い。
 破綻する予兆はみじんもみられないのだ。



 これは自分的解釈だからスルーしてもらって良いのだが、言語下の自分で認識出来ない潜在意識の部分の話。

 感情を含めた意識のプログラム、ファームウェアの部分だが、其処が浄化されておらずコンプレッションされた鬱屈としたものがある人は、脳生理学でも理解されている様に、身体の左右の動きの分離が起こってしまうことに依る失敗傾向が見受けられる。

 
 愛情深く謙虚で素直であろうと思われる林氏には、こういった要素が感じられないのだ。

 3年前に怪我のことを聞いた時には、怪我らしい怪我をしたことがないと仰っていた。



 さて、この場面で使っているのはハスクの電動チェンソー。
 『電動工具みたいでしょ?』と言いながら使っていた。振動がなくて良いのだそうだ。だから細かい処理のところで使っていたのか?


【動く年輩者】
 二日間、一日4時間程度で形が出来上がった大猫さん。振り返りながら手招きをしている猫は頭の上に子猫を乗せているもの。
 雲林寺さんに寄付されるそうだ。
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 この大きい猫は脚立だけでなく、脚立四本に丸太を渡し、足場板を敷いて作業台を作ってカービングが行われた。

 その設営の際に、自分がもたもたとしていたら、年輩のお父さんたちが何人も寄ってたかってあっと言う間に設置してしまった。
 若い人、と言っても林さんは四十数歳だが、それよりも大分年輩の人たちが指図もされずに皆で連携して作業をしてしまう姿に感じるものがあった。

 一つは此方のお父さんたちは日頃連携作業をやっているので、そういった恊働作業の際の周りとの阿吽の呼吸の連携が上手いということ。
 それから林さんのご人徳とやっている内容につき、周りに自然にサポーターが出来ているということ。それもご高齢の方々の・・・6IMG_9883

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 山口のテレビ局の撮影も一日行われていてインタビューも二社分行われていた。


 
 林さんは子供から年輩の方まで満遍なくファンが居る様だ。

 やはり、それはチェンソーの技術以前に、何を実現したいのか何を生み出したいのかという意図に、差し出したいもの与えたいものという愛に根ざした想いがあるのではないだろうか。





 拙い経験ながらも、此れだけの実績があり、またそこそこの年齢を重ねていながら、ピュアな想いとともに素直で誠意があって、腰低く、また他人を値踏みせず、そして誰にでも明るく対応出来る人は、もしかしたら林さん以外思い浮かばないかも知れない。


 だって、今回も何処からもお金は出ていないし、林さんは自分の好きな遊びだからと、そして猫寺の和尚さんにはお世話になっているからと、自分で材を用意して(良い木ではないけどと言っていたが)こんなパフォーマンスを披露してくれるのだから。


 猫寺のご住職夫妻も同じご縁の方たちに見受けられる。

 皆さん素敵な想いを持った方々に神仏と諸精霊、そしてご先祖のご加護があることを不徳の身乍ら此処に祈念したい。


以上