2020年になりました。今年はどんな年になるのでしょうか? 今年もまた世界中で色々ありそうですが、本年もよろしくお願いを致します。

 さて、能書きが多いこんなブログを覗いている方々はどの様な方々なのでしょう。必要な情報だけ拾っていく人たちも多いでしょう。それに、都会に住んでいる人たちと地方の農山村に住んでいる人たちとでは、観ている世界も違うでしょうし価値観も違うと思います。

 また、都会であろうが地方であろうが精神的に自立して生きている人たちと依存的に生きている人たちとでは、全く生活感・人生観が違うことでしょう。

 島根の田舎では補助金ありきの様な社会構造になっていますから自立心って何?という人たちが少なからずおられますし、組織自体が体内体外から吸い取ることでなりたっている様なものも沢山あります。

 その様な地域社会であっても自分たちは何とか自立的に生きていかれる様にして行きたいと願って活動しております。農的な自立はそんなに難しいことではありませんが、その周りの基礎的な自立的生活ベースづくりは山ありきから始まるのではないでしょうか。

 利益のため“のみ”の山の活用ではなくて、自分たちの生活基盤整備のため、地域の資源や山の多面的機能循環のための山の整備と保全について、一般市民の山主さんたちとその周りの人たちが、より安全に楽に取り組める様な全体のベースアップができれば良いですよね。

 拙い自分の人生の反省も含めつつ、山や森に対して同じ方向を向いている人たちに対して自分の経験値が細やかながらもお役に立てればとシェアしているのが此のブログなので、長い能書きゴメンなさいです。


【環境を守るための森林整備はもはや究極のアウトドアスポーツ?】
 ここで一つ宣言してしまいましょうか。“市民による山造り・森づくりのための森林資源活用による森林整備は、究極のアウトドアスポーツだ!”

 其処まで言うのは乱暴でしょうか。でも、自分の経験と共に同じ様に考えている方も少なからず居られるからです。
 自分の場合、1967年頃には今のMTBに近いものを自分で考えて作って野山を駆け巡りつつ、中二の頃からは内緒で手に入れたバイクで新横浜駅近くの河原と田んぼの中のモトクロス場へ裏道から練習に行っていた子供時分ですが、その後もオフロードばかりやっていて、バイクや四駆での山岳アタックや河の遡上で遊んでしました。
 あとは普通に登山、縦走からツーリングや野宿などなど一通りのアウトドア遊びもやったりしてですが。

 で、大分大人になって自分の遊びが環境に負荷を掛けていることを反省してからは、沢登りから源流釣り、奥山での生活などもやって来ましたけど、面白いのは今島根でやっている様な自給自立的な生活基盤を創り上げていくことかと。

 そこで、自給自立的な生活と言っても色々な切り口はありますが、関東で無農薬栽培も色々やってきていて、その次にやりたかった事は、森林資源活用だとなったわけです。津久井に住んでいた20年くらい前かな。

 で、10年くらい前に神奈川のちょっと名の知られた事業体に縁あって入りましたけど、其の後の震災をきっかけに島根に移住することになりました。
 そして8年前に協議会を立ち上げて今があるわけですが、事業体にいた頃と比べ、この8年間で(妻に迷惑を掛けながら?)ギリギリの生活で揃えた道具の豊富さ自体が違いますし、其のお陰で経験もスキルも、そして取り組み方もまるきり違って来ています。

 その一つのキッカケとなったのは、樹上伐採のための道具を扱う信州、伊那のアウトドアショップKさん(ODSK)と5年くらい前からお付き合いが始まったことですね。
 道具のサポートも受けつつ、その樹上伐採の道具を、地面からの掛かり木の処理や牽引伐倒、集材・搬出に応用することで、相当のレベルアップを行うことができました。

 ODSKさんは、樹上伐採の道具類(講習会も)を扱うワーキング館と、登山やカヌーなどのアウトドアスポーツの用品を扱う(講習会も)スポーツ館がありますが、社長の木下氏は長野県の山岳レスキューの隊員でもあり、若い時から渓流釣りからシーカヤック、カヌーなども行い、樹上伐採も行ってきています。

 その木下社長と話をしていて、ODSK主催の島根ツリーワーク講習に趣味の薪材収集の人たちが複数人参加する様になったことに対して、木下氏は「薪ストーブを設置して、木を伐って薪づくりを行うのは、もうライフスタイルだよね。」、と言っていました。

 なので、スポーツ館の方にも、搬出のための道具を展示するスペースを作って、“自伐・木の駅・薪材収集のためのコーナー”を設置しましょうよ、と1年前から提案しているんですが・・・
 アウトドアショップKこそ、こういったスタンスで背負っていけるところだと思うのですけれど如何でしょう。

 と言うのも、此方中国地方でもわたしが関わる掛かり木処理、集材のためのロープワーク講習でも、薪採りのための受講者も結構増えています。
 そもそも、中国山地は広葉樹が多いですから、これを自分たちで使わない手はないでしょう。薪ストーブ・(家庭用)薪ボイラーユーザも増えていますよ。

 山を持っていない人たちも参加していますが、山主のおじさん達も多く居られるので、皆さんに、「山仕事って、究極の遊びですよね?」、と確認すると皆さんも『贅沢な遊びだと思うよ。』、と言われます。

 また、本気で山をやろうとすると道具代や装備代もそこそこ費用が掛かりますけれど、『それにしたって、ゴルフをやることや旅行に行くことを考えたら、それと比べてそんなにメチャクチャお金が掛かるわけでもないし・・・』、と言われます。

 此の様な農山村に住んでいる山持ちのお父さん達だけでなく、街場に住んでいる人たちでもアウトドアスポーツやレジャーなどを一通りやってきてブームを通り越してきた人たちには、小屋づくりをやりたいとか山の整備に関わりたいという人たちが増えています。

 要するに価値観の問題でしょう。一時の愉しみと浪費でお金を使うのか、地球に対して地域の自然に対して循環的な維持のために地域環境のためにお金と労力を使い智慧を働かせて達成感を得るのか、つまり貰う側なのか与える側なのかの違いがある様に思えますが如何でしょう。

 登山にしたってキャンプにしたって、それを行うことで環境や他人に対して何かを与えることにはなりませんよね。ましてや、登山道に生える木の根っこを硬い靴底で平気で踏んづけて木と植生を傷めたり、人工的なキャンプ場で都会と同じ生活ゴミを増やしていたりするわけですから、自然の中に居ても自然環境を維持することには繋がっていません。

 翻って山仕事は、林分の環境維持のために支障になるものを間引いたり植えたりします。適度に利用することが里山の植生維持に繋がっています。また、広葉樹の多くは伐採後の切り株から萌芽更新をして再生しますし、鳥達が介在する母樹から落ちる実による下種更新が行われます。

 原生林については、すでにバランスが採れているので人による負荷が掛かると植生が崩れていくと言われていますが、里山の様な過去から人の手が入っていた森では放置すると植物同士の鬩ぎ合い(生き延びるための戦い)で淘汰の中間状態になり安定した状態から不安定な状態になります。

 大昔から薪炭林として使われてきた里山の広葉樹がこの60年くらい前から放置されて大きくなりすぎ、現在の様に山中にギッシリと繁茂しているのは、今までの時代にはなかった様な特異点になっているのではないでしょうか。

 その大きくなった広葉樹を伐採するのは、事業体が行う様な大規模皆伐でない限り、山の整備保全のための作業となるとプロでも難しい様な技術と道具類が必要です。
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 上画像の林は、10年前に撮った神奈川の相模原にある津久井湖近くの里山です。横浜市の水源林保全のための間伐作業に5名位で入ったところですが、ここに入るにあたっては精々チルホールくらいしか持って行って作業をする程度なので、みんな難しい木は避けて伐採していましたね。事業体の仕事ってそんなものでしょうか。

 その中でプロパーのオジさんが伐採した木の元が自分に向かってきて木と木に足の脛が挟まれて複雑骨折をしてしまい、三人で抱えて山を下ろすのが大変でした。そして搬送先が見つからず救急車の中で1時間待機。でもシリアスなところまでにならなかったのは幸運としか言えないでしょう。

 当時で、ここは60年生近くだったので、それからまた10年経っていますから、もう植生の再生なんてできない状態ではないでしょうか。太い木を間伐するなんてのも木に登って樹上の部分から枝を降ろして行かなかったら掛かり木ばかりの作業でしょう。

 例えそこまでやらなくても、薪にちょうど良い太さの広葉樹を伐るのにも技術と道具と知恵がないと安全にできない場合もあります。

 この様な条件を整えて伐採に臨まないとロシアンルーレットの様な博打になると言えるのではないでしょうか。だから事故が多いのではと思います。基本、自分自身はビビリだし高いところが苦手だし、と言うことで無茶はしません(が、いい加減な人間なので失敗も多いですけど)。
 山の人たちは、少しビビリくらいの方が長生きをすると言います。勇ましい人が勢いだけでやっていると調子が良いときは凄いのですが、何かの拍子にリズムが狂った時の差が人一倍増幅する様です。

 何にしても伐採作業はイメイジ力がないと結果が安定しません。それを身体を通して表現できるかどうか。道具と理屈だけでは不確定要素が多い伐採作業は結果がついて来ないのではないでしょうか。

 もはや、薪材収集の伐採はエキストリームスポーツの範疇かもしれません。(^-^; 
 そして森を安定した状態にする作業は、豪雨の際の土砂災害防止にも繋がりますので地域環境を維持することや、水や空気の浄化システムとしての地球環境維持にも繋がるのではないでしょうか。
 つまり、自分たちが森の中で行う行為が、貰う側ではなくて与える側であるということです。
 また、経験とスキルが伴っていけば、災害時の支障木の片付けもできるかも知れませんし(電線脇以外)、簡易な構造物を作って避難場所やトイレなども作れるでしょう。また、枯れ木などを安全に折り倒して速攻薪の調達ができる様になるかもしれません(樹上へ、スローライン→高強度繊維ロープ→ウィンチング、または、スローライン→トラックロープ→ワイヤーロープ→ウィンチング:車両であれチルホールであれ、ポータブルウィンチであれ、倍力を掛けて引っ張ることで結構な太い木を折り倒したり、または揺さぶって枯れ枝を落としてから元を伐る牽引伐倒などが可能)。

 大きな災害時に於いて復興が長引く際には自分たちで生活の方法を創って行かなければならないでしょうし、社会システムが変わる時などにおいても大事を小事に抑えていくには、何れにしても今後一般市民が自分たちで森林資源を活用しながらそういった時期を凌いでいく必要が出てくる可能性があります。

 そういった事が必要になった場合には、見様見真似で伐採が出来るかというと、出来る場合もありますけれど、エキストリームスポーツの範疇に入るかも知れない(笑...)ケースが少なからずありますし、頭で考えて出来るというレベルの作業ではありませんので、今のうちから携われるスキルレベルの高い一般の人たちが増えていくことは大事なことでしょう。
 自然と共に生きていくと言うことは里山の適度な整備を行いつつ資源活用をさせて貰うことが必要ですから。また、時代が進んで世の中のテクノロジーと共に人間が精神的にも進化して人々が労働から解放されたとしても生活環境の植生の面倒を看ていく必要はあると思います。

 また流通の側面から観ると、木の駅プロジェクトで行なっている様な地域の森林資源を地域通貨券として流通させることは、地域社会(コミュニティ)に於いて地域通貨や物々交換、対価交換方式で地域内で自ら行う自立的流通制度のコントロールの練習にもなっていると思います。
 この20年で色々な面に於いて市民による森への取り組みも、地道に進化してきていると言えるでしょう。

 それは、我々市民が森林の状態に目を向け始めた1900年代の終わりには国が森林ボランティアヴィジョンを打ち出して、共鳴した一般市民が山に入り始めたところからがスタートでしょうか。

 他の記事に書きました様にKOA森林塾の様なレベルの高い山仕事を教えるところが出来て、そこの卒業生たちが木の駅プロジェクトを立ち上げたり、また森林ボランティアが盛んだった高知ではNPO法人土佐の森救援隊の活動が行われて居たことで化学変化を起こして、市民達による山への取り組みが2000年以降につながって行ったのですよね。

 国や自治体、林業事業体による利益を目的とした大規模集約型林業とは切り口が違うスタンスによる、山への山主たちとその仲間達の取り組みの話です。時代はどんどん変化しています。小規模山仕事の道具も技術も進化しています。

 そして、地方の田舎に住みたい若者が増えている現在、田舎暮らしをより自由に楽しく暮らすためには山仕事の素養は必要条件かもしれません。山奥に行かなくたって近くに整備しなければならない森が沢山あるのに、わざわざ遠くまで行って山登りをしたりキャンプをしている場合ではないのが田舎暮らしです。

 で、ODSKに代わって改めて書いておきましょう、“市民による森林整備活用は、究極のアウトドアスポーツだ!”

 うちの協議会の講習用テキストに書いてあるテーマは、“目指せスーパー素人”、と言うことで絶対に事故を起こさない安全作業をしつつ、さらに高度なレベルの山仕事ができる人を目指すことです。

 そのスーパー素人は、生活や事業のための利益中心の山仕事ではなく(勿論、利益が上がれば副業、多業化していくのが望ましいですが、それ以前に安全作業自体を身に付けることが肝要かと)、我々を生かしてくれている環境の整備や保全のために大義をもって山に取り組む高いスキルと応用性、そして安全確保の精神性を備えた人たちの人生を豊かにする活動です。

 どちらかと言うとみんなでワイワイやる森林ボランティア的な共同作業ではなくて、一人でも難しい作業を自己完結できる自立的な作業スキルを醸成した上で、優れた道具を使いこなせる人のことです。

 何故ならば、みんなでお祭り的に山仕事という危険作業をやると、誰かが失敗した時や、また無責任な人が入り込んだ時に事故になりがちだからです。
 それよりも、一人で完結できる自立したスキルの高い者同士が連携した時の方がリレーションが密になりますし、相手の安全を思い計りながらも、難しい作業を安全に進められる様になります。

 自分たちが使いたい森林資源を山から出してくることは、ある意味リアルな危険を伴った遊びなのですが、それを遊びと言うと評論的批判者たちがうるさいことを言いそうなので、此の際スポーツと言ってしまおうという訳です。

 もしかするとエキストリームスポーツの部類かもしれません。そうすれば、事故や怪我が起きてもうるさいこと言わないでしょう。
 どうですかね? 自立精神の乏しい金太郎飴づくりが大好きな日本人、他の人が自己責任でチャレンジすることに対して横から口出しして足を引っ張ることが好きな一般的日本人には無理かな〜。
 と言うことで、山仕事今年も楽しく安全にやりましょう。
※周りの先輩たち大勢を見渡しても、10年20年30年、山をやっていても怪我をしない人は本当に一度も怪我をしていなかったりしますね。山の作業は、危ないのは当然としても、それを事故や怪我に繋げるかどうかは別の要素があると思います。林業よりも危ないスポーツは幾らでもありますからね。ただ、怪我や事故を起こしやすい人たちもいるのは事実です。もし仲間内に入れる必要がある場合には徹底して精神改革をして貰う様に周りからサポートする必要もあることは認識しておきましょう。


【自給自立的な資源環境が揃っている島根県---たたら製鉄と鍛治】
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 『島根は日本人ですらどこにあるのか分からない最後の楽園』

 これって「島根自虐カレンダー2020」というものです。島根自虐シリーズ?でカレンダーも出しているんですね。自虐シリーズはメチャ面白いので好きです。
 どんな雰囲気かというのは、このカレンダーの9月を捲ってみると少し感じが判るかもしれません。
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 自虐シリーズのどのページを見ても「ウン、ウン」、とうなづくことばかり。軽快なブラックジョークで島根の風土が語られていますが、関東の人たちに見せてもみんな面白いと言います。
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 島根に興味がある方は、ぜひ手に入れてみてください。“島根自虐伝”もオススメです。

 因みに“むかし銀の大国”というのは、世界遺産に指定された大田市にある石見銀山から銀が産出されていたからですね。
 山陰側から中国山地を超えて山陽側の広島の尾道まで運ばれ、そこから瀬戸内海の海路を使って大阪方面に移送されていた様です。
 広島県の高原地帯にある世羅町の歴史に詳しい方に教えて貰いました。

 昨年は、広島県で何回も講習を行なっているので島根だけでなく広島のの方々にも面白い興味深いお話を聞くことができました。

 例えば、家の裏山の高いところに田んぼがあるところは、鉄穴流しを昔やっていたところだとか。これは広島で聞いたのですが、思い返せば島根も同じでしょう。

 この鉄穴流しとは、たたら製鉄のための砂鉄を採るために山に水路を作って土砂を流すながら水路の段々のところに重たい砂鉄を沈める仕組みですが、小さな山だと形まで変わるほどに行なっていた様です。
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 画像は、島根県の邑南町というところの町中の景色です。小高い山が幾つも点在していて、その間に集落と田んぼがありますが、ここは鉄穴流しで出来た地形だそうです。
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 この様に、地形をみると鉄穴流しを行なっていた跡に水田が成立したことが見て取れるところがあります。島根は大昔からたたら製鉄が盛んでしたからね。
 そしてたたら製鉄には大量の炭が要るので、山の薪炭林は大事な資源だったわけです。

 そう言えば、鍛冶屋は細かく割った栗炭を使うんですよね。フイゴを使った火床(ほど)の火力のコントロールがし易かったらしいですが、でも栗炭って爆ぜるので家庭用の燃料としては不向きなものです。燃えている時にパチっと燃えた欠けらが飛んで来るので怖いですよ。

 そう言えば、わたしは三尺のふいごを持っています。昔、神奈川のリサイクル屋さんに出ていたので速攻ゲットしたものです。昔から自給自足志向だったので、鋤や鍬の先がけ(磨り減った先端を元どおりにするリペア技術)位できないと、とか思って手に入れておきました。
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 ですが、鍛冶屋の師匠に火床の作り方を教わり、そして新潟の刀鍛冶の作業場も見せて貰って勉強したものの、フイゴを設置するところまで未だに行っていません。
 というのも、ちょこっとしたものはガスバーナーで出来てしまいますからね。

 例えば、私たちの様に小規模の小さい山仕事を行うものは未だにトビを使っています。が、講習会などで受講者に使わせると石など硬いものを叩いてしまって先端を潰されてしまうこともあり、そんな時は自分で修復することが必要になります。
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 この先っちょの下方向に向いた出っ張りがないと、力を入れて材を動かしている時にトビがスッポ抜けますよね。足場が良くないところだと事故の元です。
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 ですから、バーナーで赤めて金床の上で叩いて形を修正します(水で冷やしながら:でも冷やし過ぎると脆くなりますので、加減しながらですが)。その上で、ヤスリをかけて形を修正します。
 この辺のことは、全林協さんの林業現場人、道具と技の最初の頃の号に載っています。
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 林業現場人、道具と技は一般市民の人こそ読んだ方が良いですね。先輩、先人たちの知恵が満載です。現場の知恵については、勉強して追いかけて行かないと、人がやった失敗を自分自身が繰り返して学ぶところからになりますから無駄が多いです。
 他の方々のヒヤリハット体験を共有させて貰うことも必要だし、工夫や知恵を共有させて貰うことで、スタート地点が違ってきますからね。

 そして、この様にチョコッとした鍛治仕事ができると便利です。最近、自分がやったのは知り合いの養蜂をやっているオッさんが蜂蜜を狙ったクマさんと出くわすことが多くて、それで蜂蜜を採るときの出刃包丁で追い払うなんて、島根らしいのんびりとしていたことを言っていたものですから護身用の剣鉈?に仕上げてからプレゼントしました。
 ちょっとごっついものなのでイノシシが獲れた時の留めにも使えるものです。

 そう言えば、この時期には何を思ったか、他にも持っていた剣鉈を島根の仲間二人にプレゼントしていましたね。二人とも猟をやるとかイノシシを捌くとか言っていたので役にたつならと思ったからです。
 で、自分の道具は写真を撮って管理しているので画像データがあります。鍛冶屋の話のついでに目の保養になるかもと紹介してみましょう。両方とも良い鉈です。
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 上の剣鉈は自分で作ったカイデックスのシースに入っています。下の剣鉈はリサイクル屋さんで見つけた木の鞘がちょうどピッタリだったので、それに入れています。
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 弘前の鍛冶屋さんのもので白紙1号の鋼と言っていたと思います。あちこち整形して自分が使いやすい様にしています。
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 こちらはもう亡くなってしまった群馬の万場の野鍛治のもの。元は刀鍛冶の系譜なので玉鋼も入っているみたいです。自分でデザインを描いて作ってもらいました。五寸です。
 刃身は割り込みとかではなくて、総鋼の折り返し鍛錬で鍛えた墨流し紋様になっています。

 フィンガーガードと刃の間には溝みたいに凹んでいますが、其処にも刃が付いていて、小枝を爪楊枝の様に先を細く削るための機能が付いています。これは鍛冶屋さんのセンス。

 そして口金も刃身と同じ墨流しにできないの?と、言って、初めて口金にも墨流しのものを用意してもらった鍛冶屋さんの仕事がグレードアップした最初の剣鉈です。

 なので、可なり高級な剣鉈です(ちょっと目釘が貧弱なのが残念ですが)。刃付けは蛤刃ですね。この刃は結構研いでいました。この万場の鍛冶屋さん天野さんには相当数作ってもらいましたね。人にプレゼントで作って上げたものもありますが、まだ現役で自分の山仕事に使っている鉈が他に2本あります。
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 上画像の左側2本がそうです。左側から2本目の鳶口の様な鉤の部分の内側には刃を付けて貰った特注です。蔓や小枝を落とすのに便利だからです。両方とも両刃なのですが、この二つとも皮むきにも結構活躍します。

 一番右のものは40年くらい前のオピネルですがバフ仕上げで鏡面加工っぽくしてあります。その方が油を塗っておけば錆びにくいからです。このナイフは山の作業に持っていく工具バッグの中に入れてあります。

 あと真ん中の刃渡りが長い鉈は未使用です。作者の新潟、三条の飯塚重房氏は、刀匠の岩崎重義氏に師事した料理のプロに使われる包丁鍛治として有名な方です。
 その方が、一番最初に作ったと言われる鉈です。それを頼んだ神奈川・津久井にあった有名鍛治の作品を扱っていた金物屋さんから頂いてあるのですが、勿体無くて山では使えません。

 あの刃を美しさを保つには天然砥石の良いものでないと台無しにしてしまいそうだからです。うちにも天然砥石はありますけど安物だなので、敢えて試してみる気にはなりませんね(こちらの目釘は、亡くなったわたしの鍛冶屋の師匠によるとラブレスボルトではないかと言っていた記憶があります。鉈としては手の込んだ造りです)。

 さて、話はもどして、万場(神流川沿い)の刀鍛冶の系譜の天野さんの墨流し。
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 この墨流しは練り込みで造られる総鋼の刃身が持っている紋様ですが、有名なダマスカス鋼の様な文様が出ます。砥石の乗りも良い鋼ですけれど、錆びさせて全体を研ぎ直すと文様が・・・

 昔鍛冶屋に凝っていた頃には、鍛冶屋に大体のものを作って貰ってから、あとは自分で整形してから刃付けを行い、研ぎあげて柄も鞘も作って剣鉈を作ったり、この様な剣鉈も手に入れていましたが、大体可哀想で魚を絞めるのも出来なくなった奴が、獣を相手にする剣鉈なんか要らないだろうと、最後の二本も上げてしまいました。

 そんなこともありましたけれど、養蜂のオッさんから熊との遭遇話を聞いて何となく思い出したのは、もう20年くらい前に鍛冶屋に貰ってあって箱の奥にサビサビで置いてあった剣鉈素材の記憶です。

 それを探し出して、整形し直して刃付けをして使えるものにしました。大分砥石も減りましたよ。
 その際には、口金で木の棒に刃身を固定するのですが、中子という柄の中に入る部分に合わせて口金を太さを調整する必要があります。

 それを簡単な火造りでやるんですね。それもバーナーです。
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 この口金がしっかりとしていないと、刃身を留めている目釘だけではガタが来てしまいます。
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 この様な形で柄の中に差し込み、それからドリルで孔を開けてから目釘を通して打って固めます。
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 これはまだ目釘を打つ前です。
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 ついでに手持ちのカイデックス(熱可塑性樹脂)でシース(鞘)も作ってあげました。口金のところでカチッとロックしますので、力を入れないとこのシースは抜けません。
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 刃の側に縫い目がありますけれど、3枚合わせなので刃で縫ってあるラインを切ることはありませんのでご心配なく。シースの形は、腰に提げる腰鉈ではないので、刃の部分に被せるだけのスタイルになっています。

 熱可塑性樹脂のカイデックスを使えば、こういったシースやホルダーを自分で作れますから、腰回りの道具やメンテ道具をより機能的に使える様になるでしょう。

 この辺りの鍛治の智慧や手道具のリペアやリサイクルについての詳しい手法につきましては、2007年頃に全林協さんの此方の本(ペンネーム:偽名?で)の原稿を書きました。興味がございます方はどうぞ。

 要するに鍛治の技術というのは、道具を作り出すところにあるわけで、大昔から農(食)と住に関しては、この鍛治が作る道具によって社会が成り立っていたことが理解できるでしょう。もちろん、衣に関しても針や裁断する刃物があってこそですし、布を作るための道具も刃物があって作れます。

 我々が丸裸になってしまった場合には、まずは刃物があってこそ必要なものを手に入れることができ、そして構造物を作れます。
 そうでないと一気に石器時代の様な事になってしまいますものね。

 その刃物を作り出す金属加工の技術以前に必要なのが鉄を作り出すたたらの技術ですね。岩手など東北では餅鉄というより純度の高い製鉄の方法があったらしいですが、こちらは可なり謎に包まれている部分がある技法らしいです。
 日本の古代には未だ未だわからないところがあります。

 うちの協議会が、匹見・縄文之森協議会と称しているのは、島根に移住して最初に住んだ匹見町は、日本で最初に過疎と言う言葉が使われたところですが、ここは縄文草創期から後期までの連綿とした歴史の遺跡が全て揃って出るところだからです。

 匹見町は、専門家には縄文銀座とも言われているらしいです(8年前にも匹見川沿いで、3000年くらい前と8000年くらい前の縄文遺跡の同時発掘が行われていましたけど、発掘が終わったらトンネル工事の土砂で埋め立てられてヘリポートにされてしまいました。他の記事の中でも書きましたが、まるでバカですよね)。
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 日本各地に縄文遺跡はありますけれど、大抵は中期が抜けていたり、全部の時代のものが発掘されることは少ないらしいです。
 自分的には、この中期に日本列島で大きな地殻変動か火山の大噴火が起きたのだと考えています。そして人の移動ですね。

 これは、相似的に地球規模においても民族の移動が起こったりしている訳ですが、大きな災害が起こった場合には文明はリセットされて、そこからの再スタートになります。その時に、何れだけの智慧と技術を持っているかによって、立ち位置が変わってくることは容易に想像がつきます。

 うちの協議会は、(8年くらい前から島根で)木の伐採から搬出、利用、加工までの講習をやっていますけど、基本的な手法は原油の供給がなくなっても人力でなんとかするというベースを保ちたいと思っています。
 そのためには古人からの日本の智慧の継承が必要でしょう。なので、鍛治の智慧は残して行かないとならない、と以前から農文協の雑誌に書いたりネットに書いたりしています。

 と、余計な話に脱線しましたが、消費・使い捨て文化からの脱却にはこういった小技ができることは大事なことだと思います。

 そして大きめのものの鍛治を行うには、大きな火床が必要で火力も入りますから炭も必要ですね。我々素人は重油炉やコークス炉は用意出来ませんから、それよりも耐火煉瓦で組んだ炉を火床にして風を調整しながら送れる設備を作ることで、鍛治の真似事ができる様になります。

 そして縄文之森という名前の由来ですが、前の記事に載せました近自然林の森づくりをやっている宮崎さんに「どんな森づくりをしたいの?」、と訊かれて自分が答えたのは、『森の恵みで食べていけて、仕事しなくても良い森』、と言う事です。

 食べるための森づくり、って初めて言われたと言っていましたけど、豊かな森には動植物から木ノ実など食べるものがたくさんありますし、栄養豊かな土壌から涌き出でる水は河と海を潤して豊かな漁場にもなりますものね。

 渓流釣りとか源流釣りは25年以上前にやりましたけど、今では物凄く細いラインを使わないと釣れにくくなっているとか。あれって、川から山奥まで釣り人が増えたからなのではないですかね。
 魚も学習しますよね。魚だけじゃないですけど、彼らは個という意識で生きている訳ではなくて種として全体の中で有機的に生存していますから、テレパシックに全体に伝わり、種として学習している様に感じます。

 昔40年くらい前に南アルプスへ登りに行った時に、川の中の魚雷の様な大きなイワナたちは私が川に足を入れても恐れる風もなく周りを平気で泳いでいましたからね。

 そして、縄文人は遡上する鮭マスを獲っていたわけですけど、昔は簡単に獲れたのだと思います。それに釣針も骨で作った様な太いものですが、昔の魚はそれで釣れた様な豊かな時代だったのでしょう。
 大昔の原生林に思いを馳せれば、現代人が行なっていることの儚さが頭の中を巡ります。その原生林も気候変動によって植生の遷移もあったことでしょう。

 島根の火山である三瓶山の麓にある三瓶小豆原埋没林の遺跡からは、縄文時代の600年生を超える杉の巨木林が発掘されています。物凄く目が詰まった年輪からは、時代の厳しさが伺い知れます。
 そして、大規模な火山噴火が4000年前にこの地で起こっていたことを表しています。地球の歴史から見た近代文明の期間の短さからいったならば、大変動が何時起こってもおかしくないことでしょう。
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 どんな時代に於いても、山の植生を壊さずにその恵みを頂きながらの生活ならば、今の様な社会の奴隷の様な生活をしなくて済むのではと思いませんか?
 今の社会構造は歪んでいますし、けっして豊かではないと思います。それを競馬馬の様に目先だけ見ることができる様に蓋をされて必死で生きているのが都会人でしょう。

 1万年以上の期間において、大きな戦いがなかった縄文時代。矢じりの小ささは漁(猟)のためだけにあったことの証拠と言われていますよね。近年になって研究が進み、縄文時代の精神性、そして文化レベルの高さがどこにあったのかがわかり始めています。

 文明は全て発展的に維持されてきた訳ではないと言うことです。全地球的にもまた局所的にも崩壊レベルの事象が起きて、そこから再スタートをして世界の文化が創られてきたというのが客観的に受け入れやすい考え方ではないでしょうか。

 そんな文明の転換点にすでに入ってしまったと思われる時代において、自分はデジタル文化の奴隷になるよりもアナログ的な能力を維持して魂の自由を確保しておきたいと思います。
 このスタンスは、蘇生的なテクノロジーの発達『病気など障害の克服、フリーエネルギーによる生活のための労働の消滅』による恩恵を受けられる時代においてもです。

 と言うことで、カレンダーの話から大分ずれましたけれど、島根はたたら製鉄の地域ですから、簡単な鍛治くらいは素養として必要でしょう???

 自然資源豊かな農山漁村の県である島根県ではアナログ的な能力が必要です。それからアニミズム的な自然霊を尊重するマインドもかな。
 なんと言っても、お金の感覚も違いますからね。わたしは島根レートと言っていますけど、広島側とは金銭感覚が違うので、道の駅なんかでも美味しい食材が投げ売りの様な価格で売られたりしています。

 島根県は山も里も海も自然資源が残っていて豊かですから、世界経済が崩壊しても自給的に生きていけるベースはあります(が、その時こそ楽園気分のお花畑的依存精神からの脱却の転換期になると思いますが)。

 そんな豊かな自然の恵みに感謝しながら生活しないとバチが当たりそうな島根県です。そうそう、島根自虐カレンダー2020の11月には、『神様の数が県民の数を大幅に上回ります』、とありました。


【じゃあ、神社にお参りしてこよう】
 神社ってお社の中に神様が祀られているのではなくて、裏の山だったり磐座が本分なんですよね。自然界の存在すべてに神様が宿るという感じなのでしょうか。依り代として物理的なものを祀りますけれど、あくまでもチャンネルですよね。今は和紙で作られる依り代の御幣も大昔は杉の皮だったとか(何で読んだのだろう。違ったらゴメンなさい)。

 今年はあまり天気が優れずに、いつも見に行っている高津側沿いのところで初日の出が冴えませんでした。
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 歩いて行ったり来たりして、何時お天道様が顔を覗かすかと待っていたのですが大分時間が経ってからチラッと光っただけ。

 でも待っている間に歩いていて水鳥を観察出来ました。IMG_7282のコピー (1)

 色々な鳥が居ましたけれど、鴨も二種類いてグルグルと遊泳していました。
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 で、近づいて行ったら、嫌がって飛んで行ってしまいました。この鴨はカワアイサという種類でしょうか。鴨も種類が多くてよくわかりません。

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 水鳥の観察は出来ましたけど、綺麗なお日様は拝めませんでした。
 なので、此方の集落に引っ越して来年で6年目になりますが、元旦に初詣なんてしたことがないのに、今日に限って行ってみる気になって、三箇所をハシゴしました。

 とは言っても、すぐ裏に隣接していたり、家に帰る途中だったりするので大げさな話ではありません。何時もお世話なっている(危ない作業をしても大事に至らず、なんとかギリギリ美味しいものを食べさせて頂いているので?)のでお礼がてらのハシゴです。
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 ね、山陰は湿気が多いのでこんなです。嫁さんと二人で回ってきました。

 本年の皆様方のご幸運とご安全をお祈り申し上げております。

 あと、要らないでしょうけれど今年の年賀状もアップしてみます。うちの嫁さんを知っている当家の知り合いの方向けですね。今年の年賀状は嫁さんばかりの写真なので閲覧注意です。
さて、まだ年賀状を出していない方達への住所入力とコメント書きをしなくては・・・お正月、結構忙しいです。では!
2020年賀葉書
以上