【放置されて大きくなり過ぎた里山の広葉樹について】
 農山村に暮らしている人は火に触れる機会も多いことでしょう。とは言っても山奥でもオール電化なんて家もあって、真冬に送電線が切れたらどうするんだろう?と思ったりしますが、実際に電気が止まって困っていたこともありました。

 そんな時に炭があり、掘りごたつがあれば大丈夫。今は囲炉裏で火が焚ける家は殆ど無くなってしまいましたが薪ストーブという便利なものがあります。

 あとは自分的には石炭の粉を練った豆炭のアンカと豆炭コタツですね。これは優れものです。豆炭アンカなんて豆炭一つで20時間近く熱々ですからね。
 前に住んでいた雪深い集落では掘りごたつがあったので、これで温々でした。身体の芯まで温まります。

 但し、掘りごたつは高気密住宅では危なくて使えません。昔ながらの隙間風が通るお家向けです。豆炭こたつもそうですね。でも、豆炭アンカくらいならば車中泊でも少し窓の隙間を作っておけば大丈夫。

 ところで巨木信仰があったり森林保護思想がありますけれど、実際に山に関わってきていて???という部分もあります。

 もっとも謂れのある巨木や樹齢の高い木は確かに神聖なものを感じます。マザーツリーとも言いますしね。そして木も生き物ですから個々にあるかどうかは別としても魂はあるでしょう。こだまは木霊とも書きますし。

 そして魂を宿っている様な木を伐採する際にはお祓いをしたり供養のための捧げ物を供えたりします。

 また、原生林の様な古代から連綿と生命を繋いできて植生が整っているエリアに人の手が入ると途端にバランスが崩れて崩壊に向かうためにいじってはいけないと言われています。
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 わたしたち夫婦もブナの原生林の森へ湧き水を頂きに行っていますから、その有り難みは感謝以外の何者でもありません。

 ところが里山と言われる昔から人の営みのために活用されてきた森は放置すると植生のバランスが崩れて、植物の生命活動のせめぎ合いの中で崩壊に向かってしまうようです。光の取り合いや土壌の栄養、水分の取り合いですね。
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 あくまでも植生遷移の中での植物同士の戦いの中での崩壊ですから、いずれ環境の中での優劣がついたところで落ち着くのでしょうけれど、それが原生林の様になるまでには何百年掛かるか判りません。
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 様々な理由で木が枯れますけれど、そういった木が増えれば危なくて人は森に入れなくなります。

 また、植生の遷移以外にも土砂災害や地殻変動などにより木が倒れて空間にギャップができると新しく植生が変わってきますので気候変動など様々な要素も加わって安定した植生を保つのは難しい様な気がします。

 それはさておき、今里山林は薪炭林としての必要性が無くなってから放置期間が50〜60年以上経つところが多いのではないでしょうか。
 植林した人工林の放置林も問題ですが、広葉樹の里山林の放置林は物凄く大きく育ってしまいました。
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 此処は島根県の大田市の住宅街のすぐ裏山です。真ん中の木の様に枝を横に張って大きくなった木が其処彼処にあります。

 こんな木を何とか伐採したとしても、枝を処理するのには恐ろしい目に遭いそうです。また、木に登って事前に枝降ろしをするにしても太くて長すぎますから安全に作業をするには物凄く手間の掛かる作業となってしまうでしょう。

 個人の山ですから、そんな費用は到底出せないでしょう。あとは枯れて倒れるのを待つだけ? となると、森に足を踏み入れることさえ出来なくなります。

 その様な二進も三進も行かなくなる前、木がまだ大木に成らない内に積極的に森林資源を利用した方が里山の維持管理ができますから、エコ燃料としてエネルギーの循環サイクルを保つことが可能です。

 他の記事にも書いておりますが、日本の歴史の中で里山の林がこれだけ豊かに、そして木が大きくなりすぎてしまった特異点が現在ではないかと考えているのですが如何でしょうか。
(※大事な事を書き忘れていましたので追記します。此方の地方は確かに広葉樹が多くて、それも大木が沢山あります。が、放置植生や気候のせいなのか虫が入っていたり腐れていたりして歩留まりは良くないと思います。西東京の仲間は屋敷林などのケヤキを伐って岐阜の広葉樹の原木市場に出すとうん百万円とか千万円とか言っていますが、此方ではそもそもそんな市場もありませんし、需要もないので原木市場でもそういった素性が良い材が動かないことが多いですね。つまり右肩上がりの経済の時代の思考方法で、優良材を右から左に動かして利益を生む様な経済的な観点だけで広葉樹の大木の扱い方を考えていては山の維持、保全にならない状況になっているということかと。大木だからといってお金になるわけではないんです。それに場所によっては山深くてコスト的に搬出できないということに。それを何とかしたいんですけどね)


【火遊びは人生に深みをもたらすか?】
 ところで、皆さんは火遊びをしていらっしゃるでしょうか。わたしは若い時に街場で火遊びをして大変な目に遭った?ので、年取ってからは山だけで火遊びをする様にしています。

 そんなわけで、自分自身は燃え尽きていますけれど、山には燃やすものがたくさんありますからね。はい。人生後半を償いのために生きております。
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 さて、こんなブログを覗きに来る方達には薪ストーブユーザも多いのでしょうか。何故、炎を見つめていると癒されるのでしょう。大昔の縄文時代でも同じだったのでしょうか。
 囲炉裏で煮炊きをする暮らしは大変だった反面、時間に余裕がないとできない暮らしだったことでしょう。
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 我々にはどれだけボーッと炎を見つめて居られる時間があるのでしょうか。ボーッと生きてんじゃねーよ! と言うチコちゃんの言葉はロボット的にルーチンで生きている人たち向けのメッセージだと思いますが、炎を見つめながらのボーッとという時間は贅沢であり、また必要な時間だと思います。

 ご存知の方も多いと思いますが、一夜漬けで試験勉強をして、そのまま寝ないで試験に臨むよりも、ちゃんと寝てから試験に行った方が勉強の効果が高いと言います。

 それは左脳という今のノイマン型コンピュータと同じくゼロイチ(ノーかイエス)のロジックを元に言葉で論理的に考え、そして覚えるだけの脳機能からのデータを右脳というイメイジや空間的把握を行う直感的機能を持ったアーカイブにヴィジョンとしてシェイクし直してからデータをストックするための時間を持つことができるからですね。

 つまり論理的に勉強した内容をイメイジとして自動的にタグ付けをしたものをアーカイブとして記録付けする作業でしょう。

 ですから、火を見つめながら過去のアーカイブの中から心象を再現して精査したり、未解決の問題やテーマについてイメイジを巡らせたりするのは右脳の機能です。
 左脳的思考のノイズをキャンセルした時に、そういった取り留めのないイメイジの展開の中に飛躍や閃きなどの問題解決のための糸口となる信号がやってきます。

 要するにロジック、場合によっては屁理屈、つまり自分の狭い経験値の中だけの推論では解決できない問題も量子的飛躍によって方向性が定まったり、また答えが観えてきたりするものです。

 ま、エゴが強くて心が弱い人は、未熟な経験値に立脚した判断や、または権威的な存在、書籍や著名人や公的機関による外部のデータベースに依存するので、そういった内からの信号(や外的にはご縁)が来ても、所謂常識的な判断という観点のみの思考で、自分自身が出来ない理由や、またはやらない理由を羅列する癖がついていたりします。

 そのために新しい扉を開くための信号を抹殺してしまいがちなので、問題解決力が無かったり、仕事のスキルも上がらなかったり、ご縁も広がらずに狭い世界、狭量な目線でのみ生きていくことになっている人を多々見受けます。

 これは雇われ人でも事業主でも同じ法則の中で生きています。事業を切り拓いていく事業主だけでなく、組織の構成員である雇われ人の質とその組織のリレーションのあり方で仕事の質や人生の質が変わってきてしまいますからね。

 世の中良い悪いは別として情報は氾濫していますけれど、その情報を精査して使いこなすには、自分自身の内なる智慧や閃きが無かったら、自分自身の人生に落とし込むことができません。

 そういった事が実感できるステージまで心が成熟していない人は、只の消費社会の駒であり組織の駒でしかなく、他人や社会、または組織に利用されるだけで、他人のドラマの脇役者の人生を送ってしまうことになります。
 これは人材を生かして世に貢献する組織の事ではなくて、人を捨て駒のように使う組織の論理優先の吸血的組織にご縁ができてしまうという意味も含めます。
 そうならないためには、自分の内側に何を構築していくかが大事なんですね。

 さて、皆さんは炎を見つめる時間を作っておられますでしょうか。炎の奥に何か素敵なものを見つけておられますでしょうか。閃きやアイデア、未来ヴィジョンは炎の揺らぎの奥にあるかもしれません。

 本記事は田舎暮らしに付き物の?火との関わりについて書いてみます。田舎暮らしというよりも人間的な暮らしと置き換えた方が良いのでしょうか。または、大災害や社会システムの崩壊があっても変動を受けにくい暮らし方と言った方が良いのでしょう。

 山からの恵み、木(植物)と水と火が基本にあれば、あとは食料調達できたら長期に亘る自立生活もOK。なので、先ず山ありきでしょう。それも広葉樹豊かな山ね。

 当ブログの年末のご挨拶の記事に山の水とテーマを打ちながらそば打ちとワサビの話に終わってしまっていますが、うちの生活に必要な飲料水(料理用の水)は基本山に水を貰いに行っています。その事を書こうとして忘れてしまいましたので此処で書いておきましょう。

 うちの集落の水源は近くの高津川らしいのですが、カルキが酷くて都会の水よりも不味かったりするからです。それで、遠くの山の湧き水二箇所と前に住んでいた集落のお水の三箇所の何れからかポリタン幾つも持って行って分けて貰っています。
 どこも広葉樹の森からの水ですから美味しいのですが、その中でもブナ原生林の湧き水は最高に美味しいですね。


【現場での焚き火】
 移住する前にちょこっとだけ在籍していた神奈川の林業事業体ではしょっちゅう焚き火をしていました。山に登って行く前にまずは焚き火から。

 朝は早めに会社に着くと、先ずは外の焼却炉に火を入れてみんなで集まって暖まっていました。めちゃ冷え込んで手足の感覚がなくなるくらいなので、みんな地下足袋の先のゴムの臭いがするくらいに足を近づけていましたね。
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 そして山に行ってからも焚き火ばかり。
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 ちゃんと仕事はしていましたよ。でも、チェーンオイルの消費量が多かったのは焚き付けに沢山使っていたから?

 作業中に雨が降ってくれば木陰に逃れて焚き火。
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 何はともあれ、取り敢えず焚き火。あ、そうそう。皆さんご存知ですかね。伐採したヒノキの小枝を葉っぱごと焚き火で炙るとメチャ温かいのを。樹脂が滲み出るくらい葉っぱを炙るのがコツです。
 昼に寝る時にも寝床分を炙ってから敷いておくと昼休み中ポカポカ温かくて気持ちが良かったですよ。この事業体に居たオジさんに教えてもらいました。

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 そして他の記事にも載せましたけど、昼飯にも焚き火ですね。
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IMG_6601 (1) 他の記事に重複しますが、この昼飯の猪鍋とウドンをやってくれたのは当時一緒に作業をしていたプロパーのおじさんです。



 「朝来て夕方帰る仕事をやっている、お前らただのサラリーマンじゃないか。わしらが請けで仕事をしていた頃は、イノシシが出たら仕事を止めて狩をして酒を呑んでいたりしたもんだ。」、と言って肉や鍋、材料を担ぎ上げて昼飯に作ってくれました。
 有難いことです。
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 そしてみんなで昼寝です。ここは、丹沢山塊の麓で標高的には大して高くない400mくらいのところだったのではないでしょうか。真冬でも日差しがあるのでポカポカです。

 その時の仕事では、標高1000m以上のところに鹿柵を作りに行ったことがありますが、昼休みにイグチ系のキノコをザック一杯に持ち帰ったことがあります。

 山での作業は仕事以外の楽しみがないと心の豊かさが得られずに、本当にゼニ目的だけの、生活のために仕事をする山のサラリーマン化しそうです。
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 そう言えば、20年以上前に、東京の高尾の奥。陣馬山の麓の森林組合のアルバイトで除伐や間伐を一冬やったことがあります。企業の研究所相手の仕事を辞めた後です。

 あ、辞めたは正しくないですね。自営業でクライアントを何社も抱えたフリーの営業をやっていましたので止めたが正確です。クライアントには新日鐵の一部門もありましたし、研究者相手のスキルの高い会社ばかりでした。
 が、、、テクノロジーの先端分野に使い捨て文化の地に足がつかない地球と分離して位待ったマインドに嫌気がさして、地面の上でアナログ的に生きていく方を選択したのが当時です。

 その時は仲間と二人、もしくは一人で作業をしていたのですが、やはり焚き火は必ずやっていましたね。
 そして炭焼窯の木を伐り出していた時もそうです。上画像は炭焼の杉浦銀次先生の窯ですが、窯番をしている仲間と焚き火をしながら酒を呑んでいました。

 その時も、立っている奴はその辺の野草を採ってきて齧っていましたが、野草こそ毒があるものが多くてやばいんですよね。

 でも、その彼はそのまた大分前に、千葉の山奥で掘っ立て小屋を建ててコメ以外を自給して3年も暮らしていた奴です。食べても良いものが判る様になるまで、弟と二人でキノコや野草を食べるときは何方か一人しか食べない様にしたとか。一人がもし毒に当たっても、もう一人が病院に運べる様にしたのだそうです。

 が、そこまでやるかなぁ、と言う感じですね。まあ、そう言う人なので、この頃、今から20年くらい前には、TV番組のグレートジャーニーというパタゴニアからアフリカの何処でしたっけ、人類最初の化石が見つかったところまでを辿る関野さんの現地サポートをやっていました(彼は欧米にも友達がたくさんいるので)。
 なので、わたしも手伝いで彼の事務所に行っていた時には、衛星電話で掛けてくる関野さんの電話を受けたりしていましたっけ。
 何にせよ、火を扱えなかったら始まらない事ばかりです。


【勿体無い火】
 さて、田舎での火の話です。
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 前に書いた記事の集落の景観整備作業では、ボサ刈りをしたりイノシシ避けの柵の周りを伐採した木の枝を全部燃やしました。
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 枝払いして全て燃やしながらの作業で、幹だけ仮土場に搬出しました。
 勿体無いですよね、このエネルギー。IMG_0970のコピー (1)
 なんと言っても大量のボサと竹と枝や木ですから一人ついていないと処理できない量です。行き先が無いので現場を綺麗にしておくには燃やすしか無いのです。きっと灰になって土壌の維持に役に立っているでしょう。

 日本の気候だと土中菌も豊かに居ることでしょうし、木などを燃やすことによって出るケイ素や炭素によって更に土中菌も活性化するのではないかと思います。
 また、林縁を明るくした上で煙を出すことで獣害対策の一助になっていることを願うばかりです。
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 都会で焚き火に飢えている方達は、田舎の集落で環境維持のための藪払いや伐採整備作業を行うと盛大な焚き火ができる上にお小遣いが貰える場合もありますから、ぜひ田舎暮らしを検討してください。

 他にも、此方ではとんど焼きという(全国的にはどんど焼き)門松や注連縄を燃やす火の祭典が各集落で正月明けに行われます。うちの集落ではお札なんかも燃やしてしまいます。
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 この後にお汁粉などが振る舞われます。


【田舎での火遊び】
 さて、田舎でできる火遊びも色々ありますけれど、手間もお金も暇もかかる遊びの一つに登り窯がありますね。
 先ずは薪の調達が半端ない量が必要です。それも温度を上げるために赤松も必要ですから松枯れが進んだ今の時代に赤松の調達はお金がかかってしまうでしょう。
 それ以前に質の高い耐火煉瓦を使って窯を作るとなると半端ないお金が必要ですよね。
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 そして、窯の温度を1,000度以上に上げるためには何日も寝ないで交代で薪の投入が必要です。わたしは知り合いになった方の山梨の道志村というところにある窯へ何度かお手伝いをさせて貰いに行っていたことがあります。
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 その時々の窯の焚き方の調子で作品に出る景色が様々なのが面白いです。うちで使っている器はこの当時のものも結構あります。これは結構贅沢な火遊びではないでしょうか。

 この画像は一室のみですが、他にも何室もありますので、そこに火を回して行く窯づくりの技術は凄いですよね。

 因みにこちらは竹炭を焼く窯です。もうだいぶ前に亡くなってしまいましたが、静岡、伊豆の仕事仲間のお爺さんの作った特殊な窯です。

 大きな人でも屈めば中で立って作業ができる窯なのに、1100度以上に保って焼く竹炭の窯は他に類例がないかもしれません。その竹炭は電気伝導度が1Ω以下という高伝導度のものでした。
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 この窯に施した幾つかの特殊な施工について聞いていますが、その一つはやはり流体力学に基づいた排煙部の造りについてです。
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 この窯で焼いた竹炭はガラスの様にキンキンの音がするものですが、それを生竹でなくて乾燥した竹から焼いているのも他にないのではないでしょうか。
 電子顕微鏡で撮影した断面写真がありますが、六員環構造という所謂ハニカム状に綺麗に焼けています。これが、低温で焼いた竹炭だとこの様な綺麗な構造は出ずに殆どの孔が潰れた状態になります。
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 この竹炭、もっと分けて貰っておけば良かったです。

 ついでにこんなのも載せてみましょう。流体力学が必要な窯にはピザ窯があります。近年になって流行りで雑誌にもつくり方が載っていたりしますが、本来はこの様な潰れた形にすると薪を焚いた熱が全体に満遍なく回るのだそうです。
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 当時の仲間にヨーロッパも回ってきて石窯作りの本を日本で最初に出した奴がいました。画像は相模湖町でワークショップと言いつつ人手をタダで集めて、彼が依頼されていた石窯作りをやった時のものです。でもってサポート要請があったので、わたしも何日も手伝いに行ってあげました。
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 ドームの形状が判るでしょうか。骨組みは、ここまで(乾燥後に抜いてしまう)土を盛るという基準点です。その上に耐火モルタルでドームを作っていきます。
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 こちらは、扉の部分です。
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 この当時、わたしの自宅の庭にも石窯を作っていました。追い焚き式の二段窯です。銅パイプも窯の中に螺旋状に回してあってお湯も沸く様な造りになっています。ドームがちょっと背が高すぎますね。

 が、相模原(当時の津久井郡)の山の中とはいえ住宅街のために煙が出るのを遠慮して、、、その後完成を見ずでした・・・
 だったら今やれば良いのですが、この大谷石は切り出し禁止になってしまったので、こんなのは作れないんですね。

 と言うよりも借家の庭に作ると後で大変というのをこの前回に学んだので、山を手に入れたらだな〜。

 こうやって過去画像をピックアップしてみると、自分の場合には火は食に関わるものが多いかもしれません。
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 お味噌を作るための大豆を炊くのも、薪でやると短時間にすごく美味しく出来ます。
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 ベーコンづくりは、桜の枝を鉈で作ったチップを炭火で燻製して組み立て式の鋳物の竃でやっていました。
 バラ肉は岩手のパーマカルチャーの酒匂さんだったかな、石窯作りの奴のお仲間だったので、その彼から抗生物質投与なし、放し飼いの豚さんのものを分けて貰って作ったことがあります。

 色々なお肉でやりましたけれど、売っているものとは比較にならない旨いベーコンが出来ます。あ、ちゃんと乾塩法ね。それも、お塩は本当に塩田の上澄みを天日干しだけで作ったもの(本当に天日干しだけで作る本物は国内には一、二箇所しかないと思う)。
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 あ、あと田舎で火を扱うもので必要なのは鍛治もありますね。私の場合には、トビのちょん掛けの先っちょを直したり、ナタ類の口金を作ったりくらいですが。
 本当は鍬や鋤の先掛けまでできれば良いんでしょうけれど。
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 上画像は、全林協さん刊の森で暮らすシリーズの記事に載せたナタの修復の風景のものです。テーパーが掛かった丸棒を使って口金を作っているところです。

 右のナタに柄をつけて口金を差し込んだところです。皆さんナタは使い捨てですか? 昔の鍛冶屋が作ったナタは鋼材の質が良いものが多くて研ぎやすい上に永切れする使いやすいものがあるんですよ。

 今は鍛冶屋さんがみんな廃業してしまったので、自分でオーダーして使いやすいものを作ってもらうという文化が壊滅してしまいましたね。
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 上画像は、東京、日野市の高幡不動近くにあった鍛冶屋さん。20年以上前にもなりますが、しょっちゅう遊びに行っていました。

 そして話を色々聞きましたが、戦後の資材が無い時(金属は供出して残っていない)には、くず鉄や残っている鋼を集めてきて刃物を作ったそうです。鍛冶屋にはおろし金と言って、鉄の端材を集めて脱炭や浸炭を行い素材を作る技法があります。
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 上画像は、わたしの鍛冶屋の師匠の火床のものです。知り合いの女性がナイフを無くしてしまったので自分でナイフを作りたいというので連れて行きました(15年くらい前かな)。

 みんなマスプロダクションの製品で、誰もが同じものを使っているのが今の時代。金太郎飴化していることさえも認識できないくらいになっている人が大方なのでしょうか。

 ちょっと昔には、街場でも職人の智慧や工夫に触れる機会があったものですが、今では工業製品にお金を掛けて身の周りの道具を揃えるだけですね。

 鍛冶屋さんが居なくなってしまったら、もし戦後の様に社会が崩壊してしまった時には道具を作り出すことが出来なくなります。鉄材や鋼が残っていれば、火を扱う鍛冶屋は生活や山仕事に必要な道具を自在に道具を作ります。
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 こういった簡易な火床でもブロアで風を送れば鋼を赤められるので鍛治ができます。

 皆さんも田舎に暮らしているのでしたら鍛治の素養は身につけておいたほうが良いかもしれませんね。燃料は炭。あとはハンマーや金床、そして金バサミの代わりになるものがあればそこそこのことが出来ます。

 要するに石油やガスなどの他人を介在しないと手に入らないものがなくとも、山と木と鉄があれば、自分たちで燃料や道具を創り出す基盤を確保できる、と言うことなのですが・・・
 まあ、そんな事態にならない方が幸せなので、取り敢えず男の素養ということで。。。

 以上の様に薪と炭があると楽しい火遊びが出来ます。そういえば、ジブリのもののけ姫の舞台はタタラ製鉄が行われるところですね。岩手の南部鉄の大昔の製鉄法は是はまた別のものだった様ですが、タタラ製鉄については真砂砂鉄という良質の砂鉄を算出する島根では盛んに行われていました。

 其のために、鉄穴流しという山の地形を変えて砂鉄を採取したところが島根中にあります。そしてタタラ製鉄が行われていたところも彼方此方にあります。山には薪や炭になる木も沢山ありで、島根は自給自立的な生活ができる要素が未だ色濃く残っている地域なのです。


【適度の山の資源活用の必要性】
 しかしながら、此方の山には針葉樹だけでなく広葉樹の放置林が沢山ありますが、利用されずに放置されていたために植生も崩壊寸前になっています。

 広葉樹は伐られた後に切り株から蘖(ひこばえ)がでる萌芽更新によって木が再生するものが多いですが、高樹齢になると再生をしないんですね。結果、実生によって子孫へ繋いでいく様になるのですが、これら大きな木ばかりだと森に光が入りませんから、次世代は光が当たるまで土の中で眠っています。

 つまり高樹齢の木が何らかの原因で倒れて、光が差し込む様な空間のギャップができない限り、高樹齢の木ばかりの森になり植生が貧相になるということでしょう。

 また、里山は放置しておくと、植物同士のせめぎ合いによって森の植生が安定せずに遷移をしていく過程で犬も人も入れない様な森になってしまうことがあります。

 でも、その奥は獣天国。人間が住むエリアの縁の里山が繁茂していると山から獣が押してきます。彼らもさるもの隠れるところがあれば、食べ物になるものがあるところへどんどん近づいてくるのは当たり前でしょう。
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 こちらに移住してきて地域の人たちに聞いたのは、昔は里でイノシシもクマも見たことがないと。ウサギを獲るのでも山奥まで行ったとのことです。

 ところが今では、自分たちでさえ車で走っていて全部見ます。他にもキツネやテン、タヌキからアナグマ、萱鼠から各種ヘビさんまで。家の中にヤマネも出たことがあります。こちらは動物天国ですね。

 その原因は人が山に入らなくなったこと、そして集落の周りの里山が放置されて密生した暗い山になったことが一番でしょう。農業への被害が酷くなっている現在、もっと山の整備への関心が深まってもいいのではないでしょうか。

 農をやるならば林もやらないと此れからの農山村での農業は厳しいものになるかもしれません。植物の生命力は人間が敵うものではありませんし、そこへ獣たちがさらに押してくれば、今まで以上に対策が必要でしょう。
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 場所によっては蔓性植物によって林全体が覆われてしまうことがあります。風も入りにくく林自体が呼吸ができなくなっているでしょう。

 獣の進出を促進するだけでなく植生の遷移も加速されていきます。木に光が当たらなければ弱って枯れていきますから、安定した植生分布は崩壊しますよね。林を覆ってしまう蔓性の植物による植生の崩壊過程です。

 他にも酸性土壌で下生えも生えずに表土流出する様な山もあります。此方にも多いガラ山の植生は非常に貧弱です。下の画像はうちの集落の裏山です。
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 広葉樹の放置林で、ものすごく大きくなっている木もありますが下生えは貧弱です。そしてその下は細かく割れた岩ばかりの山です。
 そのすぐ近くに、大橋式の山に優しい壊れない作業路が作られていますが、こんな土壌です。非常に栄養のない枯れた土地ですね。

 日本は極度の酸性土壌だそうですが、植生の崩壊によってさらに山が荒れているところがあります。ヒノキの林はヒノキ自体が肥料食いのことと、落ちた葉が肥料になり難いためもあって下層植生が殆ど見られないところが多くあります。その上、放置してあったら表土流出が甚だしいですからね。

 林業に携わる方々はご存知のことですが、ヒノキは杉と違って水っ気の多いところは向いていません。だから山の中腹に植えるのですが、そんな事を知らずにヒノキを植えてあるところも多々あります。うちの集落の山もそんなところです。
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 でも、獣害はイノシシ柵のお陰で多少はありますが大したことがない地域になっています。アナグマが畑を少々荒らすのと、熊さんが養蜂箱の蜂蜜を嗅ぎつけて山から出てくるくらいです。
 お猿さんは直ぐ近くまで迫っていますが、今のところ集落内を荒らした話はありません。鹿ははぐれの雄がたまに居るらしいですがわたしは見ていませんね。

 でも、前に住んでいた集落はイノシシにやられたり、熊さんに柿の木をベキベキにやられています。
 先ずは山を明るくしないと。

 此方は時々講師にお呼ばれする山陽側の広島の山。日中、街に鹿が歩いているところです。車を飛ばしているとやばいです。市の中心街に近い山では鹿柵を張り巡らせていて、人間が檻の中に居る様になってしまっています。
 ここの山は土壌から診て、あまり恵まれていません。
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 この画像の山は、土がない物凄いガラ山でコブシ大やもう少し大きな岩の土壌なので、ここで広葉樹伐採の講習を行った時は歩くだけで大変でした。手前の大きい木は樹高は25m近くありそうです。
 いや、そんな木を対象に講習はやっていませんけどね。電線が手前にあるし・・・

 中国山地はそんな貧しい土壌の山が多いかも知れません。でも、丹沢山塊の麓にもそんな現場がありました。
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 こんなところですが、もっとアップで観てみると。
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 ガラというよりもザレですね。ザレって言葉は登山用語でしょうか。山登り(沢登り)しているとこんなところに出くわすことがあります。
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 地下足袋と比べると大きさが分かるでしょう。
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 ですから植生は貧弱で、山が動くために根曲りの木ばかりです。

 実は此処の山の裾は、関東大震災の時に山津波が発生して9戸が飲み込まれたところなのです。そして土石流で串川という川が堰き止められて自然湖ができたところ。
 地元では地震峠で有名ですが、当時の記録では木が立ったまま川が流れる様に山が落ちてきたという記録があります。

 この様にザレた地盤の山ですから、その裾は危険区域なのはご理解頂けるでしょう。局地的豪雨が多発する現代に於いて自分の住むところの裏山の状態を知っておくことは大事です。

 下の画像は上記の災害が起きた山崩れの現場から覗いた景色ですが、登山をするくらいで山のことをあまり知らない人には、只の緑の山かもしれません。
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 でも、山の植生をよく観察すると弱々しい木が多い山や、また全体が枯れた雰囲気がする山など様々なんですね。

 そういった災害を防ぐためには、集落を囲む山の斜面保持力を林が保つ様にすることが大事です。そのためには根系のネットワークをしっかりと作る山造りが必要なわけです。

 ところが、土壌が貧相だと根は地面の奥には入っていかないんですね。広葉樹の大径木でもそうです。
 この点に関しては国土防災技術株式会社の田中取締役がフルボ酸活用によって土壌改良、植生復活の仕事をしていますので、いずれその点をフィーチャーした記事を書いてみたいと思います。

 取り敢えず、他の記事にも載せている広葉樹の根がどの位地下に伸びているかというグラフがありますので再掲してみましょう。
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 右にリンクを張っていいる国土防災技術株式会社の田中取締役から了承を得て使わせて貰っているものです。地面に強電気を流してサンプリングしているものですが、赤いところが根です。
 樹冠に対して根は横に広がっていますが、深くは入っていません。国土防災技術株式会社さんでは樹木の引き倒しテストなど様々な試験をやっておられるそうですが、はやりケヤキが一番強いそうです。

 そして意外と直根が入っている針葉樹も引き倒しに強いとのこと。下の画像は同様の針葉樹林でのデータです。
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 この林分は30年生くらいとのことでした。樹高に対して随分と奥深くに根が入っています。これは、恐らく実生苗を使った植林地でしょう。もしくは自然生えの林分でも同じだと思います。
 と言うのは、挿し木で育てた苗には直根が出ないからです。

 豪雨災害で土石流が出たところの木の根を確認してください。針葉樹の人工林ならば実生苗で植林したのか、それとも挿し木苗で植林したのかでも斜面保持力が違ってくることでしょう。

 そして、放置林の問題において土砂災害につながる要因はいくつもありますけれど、一つは間伐していない暗い森では下層植生が育たずに貧栄養化して根系のネットワークが出来ていないこと。ひいては酸化土壌による土壌結束力が極度に弱いなどもあるでしょう。

 また、間伐していない林分では光を求めてヒョロヒョロの細い木が林立している、所謂線香林になってしまう訳ですが、これは針葉樹でも広葉樹でも同じです。そして、根系も発達していないという。

 で、それだけでなくて、間伐していない、つまり資源利用をしていない山は、間引きがされていないから表土から上が極度に重くなっているということですね。要するに放置してあって密の状態になってしまっているわけです。

 其処へ豪雨が降り続けて、雨水が地下に入ったら斜面が一気に崩壊します。2013年に津和野町と山口県側に発生した後に激甚災害に指定された豪雨災害の調査に入った国土防災技術株式会社さんの報告では、地下に入った雨水が作った水道(みずみち)がパイプ流という流れによって斜面をスプーン型に崩壊させたそうです。

 これは広葉樹林、針葉樹林双方ともそうなっていました。此処は山口県に近い津和野町の災害現場です。今では工事が行われて景色が変わってしまっていますが、この時は災害から1年後のものです。
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 この様な状況にならないためには他の記事にも書いている様に林業事業体に任せておくだけでは、とてもではないけれど安心できません。

 市民による整備や森林資源活用が地道に行われていく必要を感じます。今は薪ストーブも高性能になってきていて、薪をよく乾かして含水率を下げておけば焚き出しだけ煙が出るだけです。
 郊外の家だったら全然問題ないでしょう。

 と言うことで、局地的豪雨が多い時代になって森づくりに対してもっと多くの市民の方が問題意識を持ちつつ、積極的に森林資源活用を行える様な仕組みがさらに広がっていくことが必要でしょう。
(先年のオーストラリアの大規模森林火災ですが、大きく広がったのも乾燥気候などの要因があるにしても、過度の森林保護による密植状態による延焼も要因にあるのではという話もありましたけれどどうなんでしょうね。もしそうだとしたら、過度の放置も、そして保護も生態系に対する影響は少なからずあるということになります。バランスが採れている原生林以外は〝適度な〟利用再生がある方が植生の活性化にも良いし、動物たちの個体数の安定にも繋がるのでしょうか)

 それ以前に、火を焚く余裕がない社会ってどうなんでしょうね。電子的テクノロジーばかり進歩した様に見受けられますけど、それって本当に幸せになっているんですか?

 バイオや農法などのテクノロジーも進歩していますし、また地球を傷めつけないエネルギー発生のテクノロジーも進歩している様ですから将来的には明るい兆しが見えていますけど、今の社会のあり方の方が問題でしょう。

 その未熟な社会システムのところにウィルスが広がって経済や流通が止まってしまったらどうなるのでしょうか。
 せめて、自分たちで森林資源を活用しながら山の整備をすすめ、綺麗な飲料水の確保や田畑への水源の確保を行っておくことが、まずやっておくべきことと考えます。

 その為には火遊び。。。火を楽しんで活用することをもっと多くの人たちがやった方が良いと思います。そもそも、薪や炭で調理した食べ物は旨さが全然違います。
 電子レンジ?ばっかじゃないの。。。

 って、支離滅裂でした? では次の記事で電子レンジを持ったことがないうちの料理について書いてみましょう。