先日、妻が小学生の環境教育のサポートで山に上がったので、送りながらブナの原生林のお水を汲みに行ってきた。
 その途中で川の景色を撮影する。関東の釣り師の友人たちにちょっと自慢するためにわざわざ川の様子を撮影するこの親切心。

 此方はその友人の釣り。これは神奈川の丹沢山塊で。
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 丹沢では表側の尾根のブナがみんな枯れてしまったけれど、東名高速の排気ガスとか酸性雨が原因だとされていた。

 下画像のテラリウムは、17年前に東京ビッグサイトで開催された環境展に賑やかしの一つとして出展したもの。
 題名は「丹沢、檜洞丸の憂鬱。中川川東沢本棚沢上部尾根」、という作品。頂上左側の枯れ木が立ち枯れのブナをシンボライズしたもの。
 沢登りをして尾根まで詰めると、枯れたブナが其処彼処に立っていたからね。
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 この頃は、水質浄化の仕事にも関わっていたので、庭にビオトープを作ったり、こういったテラリウムなどばかり作っていた。市内には元江ノ島水族館の学芸員だったオジさんが仲間にいて池袋サンシャインにある水族館の水質浄化の仕事もしていたので、色いろ勉強させてもらっていたころだった。

 素材にビール瓶などの廃ガラスを熱で発泡させるとμオーダーの間隙ができるので、そこの嫌気性微生物を活着させアンモニアなどを分解するシステム作りをやっていたのだった。灰色の岩に見えるのが発泡ガラス。

 この廃ガラス活用素材と、それにに特殊な鉱石を混ぜて遠赤外線を発することで微生物を活性化させるものを群馬の知り合いの会社が作っていたから。このテラリウムは水を吸い上げて上から滝にして落としている。

 嫌気性微生物と好気性微生物の両方を活性化して水を綺麗にする微生物浄化システムのつもりだった。

 水槽の中にはメダカとヌマエビとニナが居て、アオコも発生せずに水はずっと綺麗なままだった。生物と水草と菌類との循環環境システムを目指したもの。
 庭のビオトープも同じ素材を使用して作ったものだが、ずっと水が綺麗だったし、カエルや蛇?などの生き物もやがて増えて賑やかだった様相になっていた。
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 本記事では、釣り師の彼らに送るために処理した画像をちょっとおすそ分けしようと簡単に記事にするつもりだったのだが、そんな過去も思い出しつつ、ついでに以前の画像も色々引っ張り出してみた。まとめて川の景色をお楽しみください。

 と、本記事を立ち上げたけれど、またまたの熊本の水害のニュースを観て追記あり。自分自身が水流の凄さを知ったのは、小学生の夏休みに遊びに行った母親の実家のすぐ近くの鶴見川(今の横浜市青葉区)の川縁が台風による増水でごっそりと無くなっていた時のこと。以降、川の怖さについて、その光景を観たのがトラウマになっていたのかも知れない。

 思い出してみると、その小学生時代には新横浜駅のすぐ近くを流れている鶴見川の支流の鳥山川が台風で増水していたのにも拘わらず、波打つ水面ギリギリのところに二枚の板が渡してあるだけのところを同級生6名で渉った記憶がある。
 落ちたら濁流に呑み込まれてお陀仏だったことだろう。子供ってのは無茶するよね。

 あとは、1974年9月の台風による多摩川の狛江市の土手が決壊して住宅が流された映像をTVでリアルタイムで観ていたからね。

 そんなこともあり、大人になってからも住んでいる近くの河の状態はいつも気になっていた。というのも、大人になってからも河原で遊ぶことが多かったからね。なので、かつて撮影をしてあった増水時の写真が残っているので、増水した多摩川とか相模川などの写真も載せてみよう。

 それにしても昔から思うのは、街場には水際の近くまで住宅街があることの不思議。堤防ってそんなに信頼感が高いのだろうか。河川には必ず支流や用水路があって上流部から水が集まって流れて来るのだから、流域全体で大雨が降ったら短時間で増水することは想像出来るだろう。

 その流域全体がアスファルト貼りだったり、用水路が土ではなくてコンクリート造作ならば、短時間で本流に大量の雨水が流れ込む。土の地面や草木、耕作地が無くなり都市化するほどに、かつて行なったその河の水害対策は脆弱化するだろう。

 20年くらい前に、神奈川の津久井に住んでいた時に、そちらは全然雨が降っていないのに、峠を越えて20分位の東京の高尾駅方面に行った時には、局地的な雨で南口がプールの様に冠水していたことがある。
 そして昨年の台風では、北口側の国道20号線甲州街道が濁流になって水害を起こしていた。その近所には樹上伐採をやっている友人がいるので電話をしたら、辺り一帯低いところはみんな冠水していたらしい。

 これは森林の保水力の問題と共に、都市化によって雨を吸ってくれる土が覆われてしまったところに気象変動で局地的が豪雨が長時間続くというメカニズムに対して、都市化される以前の一昔前の経験値によって、安全神話を信じているだけに観える。

 過去何十年間に災害がなかったからと言っても、我々が生きてきた短い期間の間だけでは判らないことが多いと考える方が普通ではないだろうか。時代が変わったんだよ、と言いたい。

 行政関係では、よく想定外の事案などという言い方をするけれど、お仕事でやっている人たちの責任の切り分けのためのもので、人が死んでしまったら土台責任なんて取れる訳もないし、あとは補償の多寡の問題。

 その様な人たちが行なっている対策に命を預ける方がおかしいので、自分たちの命は自分たちで守る、自分の人生は自分で責任を取る、というスタンスで物事の真実を嗅ぎ分けた方が良いのではと自分的には考えている。

 何年かまえから正常性バイアスというしゃれた言い方がメディアにも載る様になったけれど、火事で煙が出ていても周りの人たちがアクションを起こさない場合には、吊られて自分自身の行動を周りに合わせてしまうというロボット的思考パターン+行動パターンのことを指す。

 地域の歴史を調べたり、年寄りたちの昔話には参考になることがたくさんある。造成された都会に住む場合には関係ないかも知れないけれど、地方農山村ならば災害が起こりやすい地域などの様子が判ったりする。
 自分の人生は自分でハンドリングした方が、上手くいっても失敗しても、後になって後悔をすることがないと思うのだが如何だろうか。


【広葉樹豊かな森がある山の川は美しい】
 広葉樹の森は景色も美しいが水も綺麗だ。そして豪雨後の濁りが収まるのも早い。それは、島根のこの川だけでなく、上画像の神奈川の川も同じだ。この丹沢の川にも台風後に様子を見に行くことが何回もあったが、濁りも少なく、そしてすぐに綺麗になる。
 健康な山があるところはみんなそうだろう。
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 この写真のところは、旧国道で今は通行がなくなってしまった道路脇。そんなところが彼方此方にあるので、我々夫婦は車で移動している時には道端に車を停めて景色や鳥を見ながらお昼を食べることも多い。
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 双眼鏡で鳥の観察をしたり川の中の魚の様子を見て楽しんでいる。そう、観て楽しんでいるだけね。
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 もう25年以上前だが、サラリーマン辞めたあとに東北六県の山の中を一ヶ月半釣り歩いていたり、御嶽山や紀州の山を同じく一ヶ月半釣り暮らしていたことがあるけれど、今は一切釣りはやらない。

 こっちに来てから一回も竿を出したことがない。歳食って心が弱くなり魚を〆るなんてことが出来なくなってしまったからだ。
 でも、魚は上から観ていてもよく解らないよね。竿出してみてこそ様子がよく判る。
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 島根に移住してきた当初の3年間はこの川の脇の公民館&地区センターで仕事をしていた。
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 その近所には、神戸の震災後にトラディショナルウェア類の輸入事業を売り渡して、此方に移住してきたフライマンのオジさんが居た。そのオジさんが釣っている上画像は支流の川でのもの。ここのしばらく上には魚止の堰堤があるけれど、下は海まで通じている。

 わたしは此れらの川の脇を通りながら片道16kmを出勤していた。当然だけど信号は一つもない。一番近い店までは25kmほど。ここまで信号一つ! 裏道使えば信号なしも可。この距離は都会でいうと、東京の立川駅と新宿駅間の直線距離ね。
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 四駆で、さらに腹下が高くなければ出勤が出来ないくらいに雪が積もる日もあった。上画像は序の口。

 お隣のお婆ちゃんにカブを貰って通勤していた事もあったけれど、夜遅くなることもあり、クマさんが歩いている道でもあるので、もし出会ったら逃げきれないと思いカブは止めた。
 だって、カブ50ccの3段変速だと思いっきり飛ばしても60km/h出るかでないかだし、スタートダッシュが遅いからね。

 オジさんは釣りをやらない日でも川に行って虫のハッチをチェックする位の人で、かつて彼方此方の川巡りをしていたけれど、此処の川が良いと言うことで移住したそうだ。

 その家の向かいには、鮎釣りをやるために静岡から移住した人も居たね。シーズンには鮎釣り師が日本各地から来るね。
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 場所によっては天然物が遡上する。
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 そのオジさんが貸してくれたAMGマークのついたゲレンデヴァーゲン。オジさんはお金持ちだったから良いけれど、こんな燃費の悪い車はよう乗らんわ。

 妻の愛車のジムニーとフォルムがよく似ているので記念撮影をした。で、最近出た新型のジムニーはさらにゲレンデヴァーゲンとフォルムがそっくりなんだよね。
 あれ、ジムニーが箱型になった最初のSJ30とゲレンデヴァーゲンとでは何方が先に生まれたんだろう。
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 こんな川だったら思いっきりラインを飛ばせるでしょう。
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 鮎の魚影は見つけ易いけれどヤマメはなかなか見えない。25年前の東北の川だとよく見えることも多かったんだけどね。

 それを言ったら、40年くらい前の南アルプスの大井川上流では川の中に入ってもイワナがウジャウジャと周りに居たし・・・
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 此方のイワナはゴギだけど支流には結構居る。
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 渓流釣りをやったらほんと楽しそうだね。あ、フライマンのオジさんは釣り三昧のあとガンで亡くなられた。シーズンには毎日川へ通い、シーズン以外でも川をワッチする暮らしをされていたので満足して成仏されたことと思う。合掌
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 交通が無くなった旧道なので、あまりメンテはされない。こんな落石は小さい方だったりする。山からイノシシが出入りしていたりするから岩を落とすんだよね。

 また、支流ではクマさんも出るんだけど、他県から釣りに来る人たちはそんなことを知らずに呑気に釣りをしている。

 そうそう、フライマンのオジさんも釣りに川に降りようとした横の木にクマが登っていて必死で逃げたって言っていたっけ。
 車で走っていても川横の木の上にクマ棚があるしね。
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 この辺りは未だ中流域でも下流の方で、上流は何本にも分かれて居て、それぞれに集落が可なりある。でも、超過疎なので人口が少なくて水が綺麗。
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 現在の国道脇。
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 さらに上流の集落手前。このまた上流が深い渓谷になる。
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 上流から下流まで楽しめる。川崎から子供達が飛行機で団体で来たり・・・
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 川遊びイベントを地元の人が開催すると新聞を見た広島や山口からも家族連れがやってきたりした。わたしは告知や受付をやっていたんだ。
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 都会の子供達も度胸よく飛び込みをやるけれど、女の子の方が度胸が良いね。
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 川縁の景色。
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 支流の源頭の山。どこもかしこも広葉樹が多い。広葉樹率は70%以上。そんな山々を擁する流域は綺麗で美味しい。
 そして豪雨で増水しても濁りが収まるのが超早い。山や森が健康な証拠だね。

 また、(過疎でお金が無くて?それとも必要がなくて...)変な河川改修を行っていないし、大岩がゴロゴロとあるので増水しても流速が上がらない。

 そう言えば、三面護岸などの河川改修によって環境破壊をされた河が災害に遭いやすい(河の流速が速くなってしまうこともある)ことから、元の様な自然な流れに河に戻しておられた方が居たのだけど、亡くなってしまったんだよね。
 結構実績があったらしいから、今の時代にこそ必要だったのにと思う。
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 ここの河は流域全体からみると上流域に位置するが、河川のすぐ脇に家があるところも少ないのは、昔からの増水したところには家を建てなかったから。
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 この地域で発掘された縄文時代8400年前と3500年前の遺跡も川の脇の高台にあった。

 この川の支流も同様で増水しても濁りにくいし収まりも早い。
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 増水した時に道路に上がってきたツガニさん。
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 以上は上流域とか中流域でのお話。この様な山がある上流域では土砂災害などは発生するけれど、洪水で災害があったという話は殆ど聞いたことがない。


【下流部の街はというと】
 ところが水量が多くなった下流部では、上流で大雨が降ると幾つもの支流から流れ込む水の量が一気に増えるので、堤防の耐えられるギリギリまで増水するのは常のこと。

 何故ならば、昔から氾濫してきた河を治水してきたので、氾濫を繰り返して工事が行われ土手の高さが決まったためだろう。
 その為に想定外の短時間に豪雨が起こると耐えられる水量のキャパを超えてしまうことになる。
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 上画像は、地方都市である当地の流域の一番下流にある益田市の河口近くの増水の状態。益田市では1983年の7月に豪雨で市街地が水没する災害が起こっている。

 被害に遭った方に天井まで川の水が来たと聞いている。また氾濫した益田川の東仙道に家があった知人には山から土砂と水が押し寄せた様子を伺った。また、土砂災害に遭った泥がこびり付いた板材もたくさんもらったことがある。

 その災害の様子をネットに載せておられる方がいらっしゃるのでリンクを張らせて貰いましょう。

 ウィキにもその様子が載っている。また、こちらは国道交通省のデータかな?此方の石見地方の708年頃からの豪雨災害の歴史が載っているが、こういった地域の歴史って大事だよね。
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 こちらの上画像は今住んでいるところの上流の街の近くだが、この画像の奥の方の国道9号線は昔から氾濫した水で浸かるそうだ。
 これは昨年だったか撮った画像だが、増水の度にまめに撮影しているのは昔からの習性かな。

 今の地球は気流や海流の流れが変わってしまったせいか、局地的な集中豪雨が起きやすくなっているし、また前線の長期停滞なども起こる。

 そして、もう一つ豪雨災害の際に気になるのが、昔から言われているように山の状態がどうかということ。
 森林の状態に興味がある方達は知っていることだけど、腐葉土などの腐植層が厚くあることや土中の中が団粒構造になっていて水を含みやすいかどうかで降った雨が山に保たれているのか、それとも硬くなってしまった表土を流れ出るのかで下流域に増水した雨水が到達する時間が異なると言われている。

 また、上流や中流域の山間部の田畑が耕作されていれば森林に匹敵するダムとして機能するけれど、耕作放棄いよって硬く締まっていては、一気に雨水が河川に流出するために災害の遠因にもなると言われていること。

 そういったことを問題視した市民ボランティアたちが、2000年の東海豪雨災害を機に、木の駅プロジェクトを立ち上げる運びになったわけだけど、それは放置林が森林による水瓶としてのバッファの機能が落ちているから自分たちで整備しつつ地域の自立を目指そうという仕組みづくりだったわけだ。

 特にヒノキの山は酸性化土壌になりやすく、また落ち葉も腐葉土になりにくいので放置林は表土流出が甚だしく災害につながり易いということ。

 あとは、人工林の場合、実生苗なのか挿し木苗なのかによって根の張りが違っていることも大事な要素だろう。実生苗の場合には直根が育って地中深くまで根が入っていくけれど、挿し木苗の場合には直根が育たないので保持力が弱くなってしまうから。

 その為に、人工林の急斜面に大雨が降って土中の根が一律の長さの下の辺りに水道が出来やすく、そこに大量の水が染み込むと一気に斜面が崩壊することに繋がっていくことになる。

 此方は2013年の激甚災害指定された津和野町の被災林の一つ。
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 こちらの下画像は2014年の兵庫県丹波市の被災地の様子。どちらも自分で撮影したが様子は殆ど同じ様だった。
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 根が浅いのがよく判るでしょう。でも、それは挿し木苗の針葉樹だけのことではないのね。広葉樹だからといって根が地中奥深くに入るとは限らないし。

 土壌によっては地中に入りにくいところもあるし、また栄養や水が無ければ根はそちら方面には伸びていかない。真砂土の土壌だと地面の上だけで根を張っている状態になっていたりする。こんな具合。
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 関連する内容は、「自伐林業への道」のサイトの記事に書いてあるので良かったらご覧あれ。

 さて、奥山にそういった山々が連なっている下流域のところはと言うと、昔から河川氾濫を起してきた地域なのだが、治水工事によって現在はそういったことが起きにくくなっている。

 って、本当かよ?と疑い深いわたくしめは、昔から台風時とか増水後には河の様子を見にいくのが習慣だったりする。

 中学生の頃から新横浜駅近くの河原にあったモトクロス場で遊ぶことが多く、大人になっても同じ路線だったからだ。
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 相模川の河原、荒川の河原、多摩川の河原などなど。住んでいるところによって最寄りの河原を変遷してきた。

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 多摩川の河原は、日野から上流へはオフロードバイクだけでなくジムニーやMTBの遡行が出来たからね。バイクでも多摩川を何度も渉っていた。

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 台風後の増水している時のジムニー遊びは、オフロードテクニックだけでなくスタック車のレスキュー訓練にもなった。

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 広々とした河原での遊びは楽しかったね。当時は(も?)生活に困った時も多かったので、マジで河原に住む様になるかもしれないと考えたし。

 なので、住んでいる近くの河原の状態は何時もチェックしていた。此方は東京の日野市に住んでいた頃の台風通過後の多摩川の状態。多摩大橋から観ている。上流に見えるのは八高線の橋梁。
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 こちらの下画像には、ブルーシートハウスが水没しているけれど、この辺の河原には河原に住人が多かったので台風時に非常にシリアスな状況になったと思う。
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 私だけでなく、河の状態を観にきている人も多かった。
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 下の画像は立川市側だと思うけど、堤防のすぐ近くにまで住宅街がある。なんで、こんなに近くに住もうと思うんのだろう。
 当然のことながら昔からの住居地ではなくて開発されたところに移ってきた人たちだからね。
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 津久井(今の相模原市に併合された)に住んでいた時には、相模川とか道志川の様子を観に行っていた。
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 下画像は藤野との境の辺り。
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【持たざる者の幸せ】
 この道志川沿いの道志街道は昔砂利道だった頃には崖崩れでよく通行止になっていた。こんな山奥に人々が暮らしていることに当時はびっくりしたものだ。昔々バイクでもよく行っていたからね。

 今となっては山暮らしの方が身体に馴染んでいるけれど・・・ この道志街道沿いは中央高速道路の渋滞の逃げ道となってしまい、段々雰囲気が荒れた感じになってしまったね。

 向こうに住んでいる時には、道志村に移住した人のところや陶芸をやっている方のところによく遊びに行っていたけれど、別荘地が広がっていったり、河原を開発してキャンプ場ができたりどんどん自然が壊されていた。過疎地域の活性化ってそんなことなのかな?

 尤も道志村は甲州街道の裏街道だった訳で、表街道の甲州街道を高尾から相模湖町側におりた千木良の地域は、一昔前は山賊が出たところと地元では言うし、また道志側も同じ。

 今の現代社会という日本中同じ文化に均された社会からは分からない歴史が各地にはあるということ。それが地域性になったり、住民性の違いに繋がっていく。

 福島も海沿いと表通りと山側では住民生がまるきり違ったりするのもそう。わたしも昔から田舎暮らしがしたかったので各地を調査?していたから、地域の歴史が大事だと考えている。

 それは地域の自然に関することも同じ。水害が起こりやすい地域、地滑り地、地溝帯、事件や事故が起こりやすい地域などなど。歴史から学ばないと同じ過ちを繰り返すからね。

 歴史的なパターンって螺旋状に立ち位置は異なっていても、同じことを繰り返しているのが常。此れは個人の人生に於いてもパターンがあるが如し。

 でも、山が綺麗で川が綺麗綺麗なところは人の心が綺麗ということとはリンクしないことを知らなかった。
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 とは言いつつも、自分がどんな人たちと縁ができるかは自分自身の中身の在り方次第だからね。結局、私たち夫婦は何処に行っても楽しく暮らせているし・・・

 ただ、大きな河川の河の脇や、土石流が起こりやすい地域には住みたくないね。今の様な気候変動が大きい時代には、大きな河川脇に市街地を作るのは止めた方がいいのではないだろうか。

 どこも同じ様な水害を起こしているのに、また再開発して町が出来ているけれど、此れからは今までの常識が通じないのではと考えてしまう。

 また、コンパクトシティとか言って、効率化ばかりを頭に一箇所にまとめ様とするのも怖い。なんでもそうだけど分散化しておく方が被害が少ないし、自立した生活形態を保つには依存しあう関係は排除した方がよいに決まっている。

 生活形態が依存しているというのは心の依存度が高いから。日本人は依存心が強い民族だから余計にそんなことを考えるんだろうけれど、その依存心というのは無責任さの延長だから今の日本の政治経済の在り方に相似的に投影されているだけね。

 わたしは長男の長男の長男なのだが、うちの家系は財産に興味がなかったのか、皆家を継がずに外に出てしまった親たちだったので、わたしも甲斐性なしの人間になってしまった。
 なので、家も土地も財産もない。あるのは小規模林業道具がタップリとあるくらいだ。

 嫁さんは一人娘で相模原に親の家や貸している店舗などがあるが、何も要らないし関東に戻る気もない。

 最後は何処かで野垂れ死する昔の無縁仏として石を建てられた流れ者になるかも知れないけれど、その代わり土地には縛られないので住むところを選ぶことができる。

 尤も、都会の人たちが勘違いしているのが、お金があれば住むところを手に入れられると思っていることかなと考えたりすることもある。

 もちろん、お金があれば、ある程度の選べる可能性はあるけれど、最終的には土地とのご縁というのは、不思議な仕組みがある様に思える。これは素性の良い土地柄のところに住む場合の話だ。
 浮草人生を送っている場合で、雇われ仕事で食い繋ぎ、人生の目標もない人は、応じた適当なところは見つかると思う。

 高度成長経済の時代にお金中心で他人と分離してでも生きて行けた時代には、お金さえあれば自由が手に入ると多くの人たちが考えて来たかも知れないけれど、文明の転換期の様な時代になってしまった現在ではそうはいかないかも知れない。

 今後世界経済は縮小し、自国内で需要を掘り起こしていかなければならない事業が増えてくることが予測される。

 もちろん、それ以外の先端テクノロジー分野ではボーダレスだし、通信を通した意味では世界中と繋がりは持てるけれども、生活を成り立たせる基盤産業は自国内需給にシフトせざるを得ないと多くの目覚めた人たちが言っている通りだろう。

 そして昔からの歴史にある様に生活が成り立つところを求めて、住むところを移っていく訳だが、其処には摩擦がつきまとう事が多い。

 そして問題なのは歳を重ねても人間は賢くなれないという現実。今の社会は老害ばかりなのがその証拠ね。自分も老害を発散する側にならない様にと思うばかり。

 その老害というか街場での地域社会の軋轢の話が載っているブログを覗いてみて、地方の地域社会の方がまだ全然ましな様な気がしたのだけど如何だろう。七十歳代の方が書いているブログだけれど、下記に抜粋をちょっとコピペしてみようかな。

 街場の地域社会こそ大変そう。特に団塊の世代の人たちは、自分自分で押し分けて生きて来たエゴの強い人たちが多いから大変だよね。知り合いだった大学の先生で左翼系の段階の世代の人が、自分たちの世代は嫌いだ、と言っていたことからも分かる。

 この世代の人たちは、リタイヤしてお金もあるもので、人によってはキャンピングカーで日本各地に遊びに行っている人たちも多いし、また平日の美味いもの店に行くと、こういった老人たちが席を占めていたりする。

 自分的には、若い人たちが生活自体に困窮していたり、やる気のある人たちが埋もれている社会は、こういった世代が孫子の代の世界を食い潰したからではないかと思う。負の遺産が今の時代と未来へ先送りされているだけだからね。

 なのに、死んでも持っていけないお金や資産がありながら自分たちの楽しみだけにしか使えないこういった人たちは哀れな存在かもしれない。

 若い世代や此れからの社会を創って行く人たちや、また環境など孫子の未来社会に投資する様な思いやりも、また自分たちが作って来た社会の在り方に反省の心もない人たちは子供達や他人からも尊敬される様な存在にはなり得ないんだろうね。

 金や権威を手に入れても尊敬される様な人格を手に入れられないのであれば、人としての人生がなんぼのものだったのか。
 昔の日本人や世界各地のネイティブたち、また騎士道などの心を持った人たちは自分自身に誇りをもって生きているかが価値観だった。プライドじゃない誇りだよ。
 わたしは埃だらけの人生だけど、その程度のことは判る。プライドばかりの老人の社会は大変そうだ。
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「人間関係」ほど、難しいものはない。

村社会では「老人会」までなると、村落共同体で、幼いころから共に過ごし、青年団、消防団っでともに鍛え、自治会、氏子集団などを順番に世話して、最後にたどりつくポジションだ。

お互い、気心が知れており、気脈を通じる。

ところが、新興住宅地に、定年後、移り住んだ人々が構成する老人会は・・・互いの氏も素性も何もわからない。生まれ在所もことなり、気風も違う。

しかも、生活の階層もまちまち。
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 ん〜、こりゃ街場の地域社会の方が大変そうだ。私たち夫婦は良いご縁を頂き、前に住んでいた集落も今住んでいる集落も地域の人たちが皆割と仲良く上手に暮らしていらっしゃるところに住むことができた。

 何方も地域社会なので色々な人たちがいるので問題もあったりするけれど、此方の人たちは、「はぁ〜!やれんねぇ・・・」、と問題も呑み込んでしまったりするからね。

また、自分の場合には、生活の糧を地域に求めておらず地域を超えた広域の仕事をしているので地域の問題に巻き込まれることがないのが楽しく暮らせている要因かもしれない。

 とは言っても地域のことに関わって居ないかという地域の奉仕作業などは他の人よりもやっているかも知れない。仕事のお陰もあるし、そういった地域のこともやって来てるお陰か、島根の彼方此方でも此方に引っ越して来て欲しいと言われることもある。
 それ以外でも関東や長野でも戻って来いと言われるので有難いことこの上ない。

 それは、貰うよりも差し出せるものを色々持っているからなので、地域社会では自分の手の内や心の状態が良いご縁を創っていく大事な要素と実感する次第。

 お金はないけれど、良い仲間と共に良いご縁が展開していくので、懐も軽いけれど気持ちはさらに軽い状態で暮らせている。

 2011年3月半ばに関東を出た時にはワンボックスに積めるだけの生活用品で島根に来て、いい歳したアンポンタン夫婦は5月の半ばの島根での初給料を貰う前日には懐に百十円しかなかったという状態だったけど、それ以来、生活に必要な用品などは此方の地方の人たちに貰っただけで過ごして来ている。
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 何台かの冷蔵庫や洗濯機なども買ったことがない。茶箪笥とかタンス、コタツやストーブなどもだ。勿論、お米や野菜、イノシシ肉なども相当貰っているしね。

 勿論、お金はあまり使わずにそれ以上のお返しもしているから貰うばかりの話ではない。経済活動には繋がらない、対価交換方式や気持ちの循環サイクルができているわけ。

 世の中が手仕舞いの縮小サイクル入って、大きなリセットの時期にはお金の多寡よりも良い人とのネットワークや不思議なご縁を展開できる軽い心の持ち方の方が大切じゃないかと思う。
 土地や家、財産にしがみ付く必要もないしね。

 なんで、そんな内容を書いたかと言うと、この水害や土砂災害の多い時代において、危険地域にしがみ付いていないで、さっさと転換して生き方を変えた方が良いのではないかと思うから。

 縄文時代に遺跡が欠落した時代があるのは、その地域で大災害が起こったからであることは明白だし、その後に時代においても様々な災害が起きていることは歴史を紐解けば判ること。

 この戦後の成長経済の時代にも幾つもの大災害が起きている訳だし、今後も大地震や火山の噴火なども予測されているのだから、心を軽く持って安易な状況にしがみ付かない様にオススメしたい。

 みんなできない理由や、生きていくために何々をしなくては、、、という固定観念に囚われていて、自分自身の可能性を閉じ込めている人たちが多いからね。断捨離をするなら依存心と固定観念からじゃなかろうかと思う。

 持たざる者の幸せは、自分自身の人生の意図に拘っているだろうね。わたし?わたしは貰い物がめちゃ多いけれど、手放すのも昔から得意。車も上げちゃったり、大事にしている道具類も上げたり、また立場も上げちゃったりね(但し、相手をよく視てからだけど)。

 そもそも、9年ちょっと前に島根に来た時は車一台で積めるものを持って来ただけ。当初は仕事も住むところも無かった(一ヶ月知人宅に居候した)けれども、ずっと楽しく暮らしている(嫌なことや理不尽なことが無かったとは言わないけれど、適当にスルーして来たからね)。

 それは、嫁さんが商売屋の娘だし、わたしは営業畑が長かったし、二人とも神奈川の下町の様なところでの生活を経験して来ているので、隣近所とのお付き合いや初見の人との上手くやりリレーションの作り方が当たり前にできたからというのは大きいと思う。

 自我が強い頭ばかりのの人たちには地方農山村で暮らすのは可なりハードルが高いだろう。この9年で消えて行った移住者をたくさん観て来たし、アドバイスも無駄になってしまってきた。

 田舎こそ優秀で、そして心がある人たちに来て欲しいと思う。大自然と共に暮らすというのは感受性が乏しい人たちには無理なお役目ではないだろうか。

 街場で(仕事でも地域でもコミュニティで)人の役に立たなかった人が、周りの人や自然環境に対しての心遣いができるわけもなく、地域の奉仕作業が忙しい田舎暮らしに於いてもコミュニティの一員になれるわけもない。

 自分の権利を主張する以前に、大自然とコミュニティの中で暮らしていく義務を先ず果たすことが必要で、そうでなければ周りから認められないことになる。植樹をしたって周りの環境と調和できなければ、その木はせめぎ合いの中で負けて枯れていくからね。

 取り敢えず、植生豊かで安定した広葉樹の山は豪雨にも強く、下流域に対しても優しい存在であるのは確か。
 林業という経済活動から見た山造りだけでなく、一般市民生活を守るための環境としての山造りは、今後分散的社会構造を構築していく上では一番大事な要素になるのではないかと思う。

 日本は先端テクノロジーの分野を発展させつつ、それを支える食料自給率の高い農山漁村の文化を確保しながら綺麗な景観を保ちつつ精神的に成熟した社会を維持していくことを目標にした方が良いのではないだろうか。

 工業的な画一化された都市生活なんていう低レベルの社会しかイメイジが出来ないのだったら、それは精神的に依存的なロボット人間に落とし込まれているのかも知れないと思う今日この頃である。

 都市化ほど怖く脆弱な生活体系は無いと思う。今回のコロナ騒動で考え直した人たちも多いだろうと思われる。コロナの実効的なことよりも人の心の方が怖いよね。ま、それを言ったら田舎の方がもっと怖いかも知れないけれどね。

 さて、皆さんは如何考えておられるのだろう。時代は既にちゃぶ台返しとなっている。心を軽く持って閃くことを一つ一つ片付けて行くしかないのが今の時代かと。

 僕らは、作業ご安全に!と言うのが合言葉だけれども、都会生活の人たちには、人生ご安全に!と言うしかない時代になってしまったかも。

以上